カール・ゴッチ “プロレスの神様”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第4話>
それから2年後にNWA世界王者ルー・テーズ対AWA世界王者ゴッチの王座統一戦が実現し、テーズがこれに勝利を収めて世界王座を統合。オハイオAWAはベルトもろとも消滅した(1964年9月7日=コロンバス、オハイオ・ステート・フェア)。
ロジャースとの乱闘事件はゴッチをアメリカのレスリング・シーンから孤立させ、ゴッチもまたそんなレスリング・ポリティックス(政治学)を憎んだ。
しかし、日本のプロレスはゴッチを求めた。ゴッチと日本のプロレス界が特別な関係を構築するのは、旧日本プロレスがゴッチを長期滞在型の強化コーチに招いた1968年(昭和43年)4月以降ということになる。
ここでゴッチとアントニオ猪木の強いむすびつきが生まれる。20代だった猪木は“ゴッチ教室”の優等生としてのお墨つきを手に入れる。
いまとなってはひじょうな意外な感じではあるが、ゴッチは1971年7月から翌1972年2月までWWE(当時はWWWF)を約7カ月間ツアー。
レネ・グレイとのコンビでルーク・グラハム&ターザン・タイラーを下しWWWFタッグ王座を獲得(1971年12月6日=ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン)。2カ月後にバロン・マイケル・シクルナ&キング・カーティス・イアウケアに敗れて同王座を失った(1972年2月1日=フィラデルフィア)。
日本プロレスを除名処分となった猪木が1972(昭和47年)年1月、新日本プロレスを設立すると、ゴッチは新団体の強化コーチ兼外国人選手のブッカーに就任。リングの内側と外側から猪木をサポートした。
同年10月、48歳のゴッチは“実力世界一”と称するチャンピオンベルトを持参して新日本プロレスのリングに上がった。
パンフレットにはオハイオAWA世界王者時代(1962年ごろ撮影か)の古いモノクロのポーズ写真が使用された。ベルトのルーツ、その権威づけと正当性がさまざまな議論を呼んだ。
50代に手が届いたゴッチは1970年代後半からは現役選手としてよりもコーチとして手腕を発揮し、若手時代の藤波辰爾、藤原喜明らが“神様”からレスリングの教えを受けた。“神様”というニックネームが活字として定着したのはこの時代だった。
“ゴッチ門下”の日本人レスラーの系図は佐山聡(初代タイガーマスク)、前田日明、高田延彦から船木誠勝、鈴木みのる、中西学、西村修あたりの世代までずっとつづく。
1984年(昭和59年)に“第3団体”として発足した第1次UWFはゴッチを最高顧問に迎えるが、翌1985年(昭和60年)に倒産。
1988年(昭和63年)4月に再スタートを切った第2次UWFも1991年(平成3年)1月にあっけなく解散した。
“神様”はUWFの3派への分裂(リングス、UWFインターナショナル、プロフェッショナル・レスリング藤原組)を「船頭多くして船山にのぼるToo many cooks spoil the broth(直訳は「コックがたくさんいてスープが台なし」)と嘆いた。
日本のレスリング・シーンとの最後のリンクは、1993年(平成5年)、藤原組を退団して新団体設立に動いた船木、鈴木、ケン・シャムロックらがフロリダ州オデッサのゴッチの自宅を訪ね、ゴッチがこの新団体をパンクラスと命名したことだった。
船木はまったく新しいスタイルのプロレスをハイブリッド・レスリングと命名したが、ゴッチは「そんなわかりにくい単語はダメだ。オール・イン・レスリングAll-in-Wrestlingにしなさい」と説いた。
“神様”は「もう飛行機には乗りたくない」ことを理由に、UWF解散後はいちども日本の土を踏まなかった。
70代になったゴッチは、フロリダ州タンパ在住。藤原、前田らが汗を流したオデッサの自宅はエラ夫人が死去したあとに売却し、それからはちいさな1ベッドルーム・アパートメントに引っ越して愛犬といっしょに暮らしていた。
毎朝5時に起床し、朝食まえに約2時間のワークアウトをおこない、家事をこなし、自分で食事をこしらえ、ちょっとだけお酒を飲み、夜は9時にベッドに入るという“神様”らしい生活習慣を変えることはなかった。
●PROFILE:カール・ゴッチ Karl Gotch
1924年8月3日、ベルギーのアントワープ生まれ。本名カール・イスタス。ナチスの国家社会主義体制のもとで少年時代を過ごす。9歳でレスリングを学びはじめ、ロンドン五輪出場後、プロ転向。1961年(昭和36年)、日本プロレスに初来日。その後、国際プロレス、新日本プロレスのリングに上がる。UWFでは最高顧問をつとめた。2007年7月28日、タンパで死去。死因は動脈りゅう破裂。享年82。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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