更新日:2019年09月17日 14:07
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「キモイ、おっさん、死ね」八王子の女子高生から突然の宣戦布告――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第1話>

同じだったロリエとキオシ

もう一度問う。おっさんは死ぬべきであろうか。 「キモいおっさん死ね」 思い出の中の女子中学生と、目の前の女子高生たちが同じセリフを放った。このセリフは説明するまでもなく「キモい」「おっさん」「死ね」という3つの要素で形成されている。奇しくもこれらは近年になってかなり軽く扱われるようになった言葉たちだ。 少しでも意に沿わない相手を「キモい」と形容する若者は多い。西島秀俊以外の年上の男性を「おっさん」と表現することも多い。「死ね」は死んで欲しいという願望にまで達してなくとも軽いツッコミ程度の意味合いで言うことがある。ただ軽く扱っているのは言葉を発する方のみで、受け手にとってこれらの言葉はすべて刃物になりうることがある。 世の中にはほんとうに酷いおっさんで溢れている。セクハラにパワハラを生業とし、それに届かなくとも、威圧的であったり、自己中心的であったり横暴であったり、目も当てられないおっさんは掃いて捨てるほどいる。臭いおっさんも僕を含めて山盛りだ。 ただそれは人としてダメなだけであり、別におっさんが悪いのではない。そういった横暴な人物がおっさんという括りに入れられたとき、ステレオタイプな分かりやすい悪が現出する。そしてこの国は、分かりやすい悪になら何をしてもいいという風潮がある。 もっと世間は気が付くべきである。この世界には、キモいかもしれない、どうしようもないクズかもしれない、けれども愛すべきおっさんが山ほどいる。 そんな彼らを死ねと一刀両断しないで欲しい。そして、多くのおっさんたちも自分を卑下せず、キモくクズでも愛すべきおっさんとして生きて欲しいのだ。あの日のお父さんは決してキモくなかった。救ってあげて欲しいのだ。 もう一度問う、おっさんは死ぬべきであろうか。 「キモいおっさん、キオシは死ね!」 また女子高生の集団がシュプレヒコールを挙げた。その言葉がまた僕の心を締め付けた。まだ見ぬキオシとあの日のお父さんの困り顔が重なる。 グループ内の地味な子が口を開く。どうやら彼女は最近グループに入ったようで、あまり会話の内容が分かっていなかったらしい。 「どうして中丸先生のことキオシっていうの?」 一番知りたかったことだ。ボス格の子が答える。 「キモいおっさんシネを略してキオシだよ」 衝撃的だった。「ロングタイム」「リラックス」「エンジョイ」の頭文字をとって「ロリエ」としたネーミングと全く同じにキオシは命名されていた。つまり、こういうことである。 「キモいおっさん、キオシは死ね!」 というセリフのキオシ部分を本来の意味を加味して展開すると、 「キモいおっさん、“キモいおっさんシネ”は死ね!」 である。意味が重なって2回も言われている。ここまで言われるくらいなのだから、やはりキオシは死ぬべきなのかもしれない。 八王子の空は今日も切なくなるほど青かった。この空の下にいる良きおっさんたちが少しでも長い時間、リラックスしてエンジョイして生きていけるよう、そっと願うことぐらいしかできなかった。空に浮かぶ夏の雲があの日のロリエに見えた。 【pato】 テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。ブログ「多目的トイレ」 twitter(@pato_numeri) (ロゴ/マミヤ狂四郎)
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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