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「キモイ、おっさん、死ね」八王子の女子高生から突然の宣戦布告――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第1話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った”おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第1話 八王子の空にこだました「キオシ」の叫び声】 おっさんとは本当に死ぬべき存在なのだろうか。 八王子駅のロータリーでバスを待っていると、女子高生の話し声が聞こえてきた。 「マジで死んで欲しい、キオシのヤツ」 何やら穏やかじゃないセリフだが、確かにそう言っていた。確実に「死ね」と言っていたし、「キオシ」と言っていた。「キヨシ」ではなく「キオシ」、そのキオシに死んで欲しい、といった言葉を発していた。なかなか物騒である。 見ると、制服姿の女子高生が5人くらい集団をなして、椅子ではない場所に座ってオラウータンみたいになりながらお菓子を食べていた。ちょっとした無法者集団だが、八王子ではよく見られる日常の光景である。 5人のうち4人はやや化粧が濃く、1人だけすっぴんで大人しそうな感じだった。こういったグループにおいて、化粧の濃い4人がイケイケな感じに思うかもしれないが、案外、エロい場面になると4人は怖気づいてしまい、大人しそうな子が意外に大胆だったりするのだ。  そんなことも!? ということを大胆にやってのける。別にこれは話の本筋とは全く関係がない。聞き逃してもらって結構だ。 さて、問題は彼女たちのセリフである。キオシなる人物に対して死んで欲しいとリーダー格っぽい口紅が赤すぎる女の子が言ってのけたのだ。ほかのメンツもエロい場面では怖気づくくせに強気でその主張に乗っていた。 「とにかくキモイ」 「息が臭い」 「動きがキモイ」 「いつも胸を見てくるキモイ」 「死ねって感じ」 彼女たちは小さなせんべいみたいなお菓子をガシガシ食べながらそう言っていた。話だけを聞いていると、キオシなる人物、かなり嫌われている様子だが、どうやら彼女たちが通う学校の先生のようだ。その存在自体が彼女たちの脳のおもに「気持ち悪い」といった感情を司る部分に触れるらしく、親でも殺されたかと思うほどに悪口を言っていた。 なぜキヨシではなくキオシなのか、そのキオシがなにをやったというのか、そこまで憎まれるべき人なのかキオシは、疑問は尽きないが、とにかく彼女たちの論調は「キオシ死すべし」で一貫していた。 彼女たちはお互いに語りながらどんどん怒りを増幅させていったらしく、その若き怒りは次第に社会全体へと向けられていった。とどのつまり彼女たちの主張は「おっさんはキモイから死ぬべき」なのである。この世のおっさんはすべからく死ぬべきなのである。その主張をもってこの八王子駅のビックカメラ横でアジり始めてもおかしくないほどの熱量を感じた。 彼女たちは「おっさん」という存在自体が許せないのである。彼女たちにとって西島秀俊とかあのへんは「おっさん」ではなく、西島秀俊なのである。生きるべきなのである。その固有名詞で扱われるべき存在からはみ出したおっさんは等しくキモく死ぬべきと思っているのだ。これはもう、世代闘争に近い。戦争と言い換えても良いくらいだ。宣戦布告なのである。僕らおっさんに対する宣戦布告なのである。 戦争はさておき、こういったおっさんに対する「死ね」という言葉を聞くと少しだけ切なくなる。それは自分が西島秀俊ではないからとか、何爽やかな顔してんだ西島秀俊死ね、とかそういったチンケな話ではない。西島秀俊は何も悪くない。多分いいやつだ。もっと心の奥底の一番柔らかい部分を締め付けられるような遠い昔のエピソードを思い起こすからだ。
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家庭教師のバイトに向かったあの日を思い出した
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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