ライフ

エアポート投稿おじさんに、雲の上から微笑みかける今別府直之――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第3話>

空の上から“その人”は優しく微笑んだ

それから飛行も安定して揺れも収まり、シートベルトランプも消えた。それでもおっさんは収まらなかった。 「はうあああ、ふううああ」 と深いため息をつく。人には色々な不安の表し方があるのだろうけど、ここまで明朗なため息をつく人を初めて見た。 僕は困っていた。なんとか励ましてあげたいのだけど、あまり無責任なことは言えないからだ。例えばこれが飛行機の揺れを畏れているのならばいくらでも言いようがある。車の事故のニュースは毎日聞くのに、飛行機が落ちたなんてあまり聞かないでしょ、そんなもんすよ、とか言えば勇気づけられるだろう。 「大丈夫ですよ。きっと無事に出産が終わってますよ」 そう言うことは簡単だが、なぜ僕にそんなことが言えるだろうか。なぜそんなことがわかるのだろうか。分からないのに無責任なこと言うべきではない。 「どうせ何かあっても僕らにできることなんてありませんよ」 ごもっともな意見だが、それを言うのはあまりに酷というものだろう。お前は無力だ! と言っているのに近い。そもそも何様だ、僕。 「はうあああ、ふううああ」 おっさんのため息がだんだん大きくなる。この人、このままここで死ぬんじゃないかというレベルで思い詰めている。 「もう1時間くらい経ちました? あと1時間くらい?」 不安げな眼差しだ。まだ15分くらいしか経ってない。 「はうあああ、ふううああ」 おっさんの深いため息を聞きながら雲を眺める。まるで油絵で描いたみたいな重厚な雲が視界の限り続いていていた。ちっぽけな悩みなんてどうでもよくなる絶景だ。 「この景色をごらんなさい、この雄大な景色をみていると出産の心配なんてちっぽけなことに思わないかい?」 これか? いやいやちっぽけなことじゃないだろ、何言ってんだ、一大事だろ。大変なことだろう。ダメだ、ダメだ、どうすればいいんだ。そんなことを考えていたら雲の上にぼんやりと今別府直之の顔が現れた。画像でしか見たことがない今別府さんが、笑顔でこちらを見ていた。 「今別府さん……!」 今別府さんはにっこりと笑って、雲の上から飛行機の翼を指し示した。そしてそのままスッと消えたのだ。きっと幻覚だったのだろう。ただ、翼という提案は良い。すぐにおっさんに話しかけた。 「見てください、あの翼」 小さな窓から見える銀色の翼は気流を受けつつも、悠然と飛行を支えていた。雲と空の景色にカットインしてきたかのように見えた。 「ああやって飛行機を支える翼、むちゃくちゃすごくないですか。でも、強いだけじゃダメなんですよね、ほら、しなってる。強くしなやか、それが飛行機を支える秘訣なんでしょうね」 世の中の家族を支えるおっさんたちは、きっと強くしなやかに生きている。あの翼のようにだ。 「これからお父さんになるんですよ。強く、そしてしなやかに、それが家族を支えていく秘訣なんですよ。きっと。しなやかにいきましょう」 その言葉に、おっさんは落ち着きを取り戻したようだった。言ってみるものだ。ありがとう、今別府直之さん。 落ち着いたおっさんは不安を誤魔化すかのように雄弁に話し始めた。わざとらしく頷きながら、それを聞きつづける。 「もう性別は分かっていて、女の子なんですよ」 「やはり大きくなったら嫌われちゃうのかな、お父さん嫌いとか」 「名前をずっと考えていていたんですよ。何がいいと思います?」 “直之”という名前が喉元まで来ていたがグッと堪えた。
次のページ right-delta
「誰?」
1
2
3
4
5
おすすめ記事