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朝のパチンコ店で行われた、生死をかけたくじ引きと“絆の6”――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第4話>

僕たちは絆に囲まれながら、おもしろきこともなき世を生きていく

「……生きたい」 やはり、もうすぐ死ぬ、などと言っていたメロさんも本心では生きたがっていた。ではなぜメロさんはそんなことを言っていたのだろうか。なんだか中学生くらいの思春期だった頃の自分とメロさんがオーバーラップした。 若かった僕は、世のおっさんなどを見て、「あんなしょぼくれたおっさんになるくらいならその前に死ぬわ」くらい考えていた時期が確かにあった。正確には29歳くらいで死んでやろうか、あんな情けない生き物になるくらいなら、という思いが確かにあった。思春期特有のはしかみたいなものだ。 ただ、いま僕はこうして生きているし、立派にしょぼくれたおっさんになっている。あのときあれだけ嫌った「情けないおっさんになるくらいならその前に死ぬ」という思いも今や笑い話だ。もしかして、メロさんもこれと同じ思想じゃないだろうか。 メロさんも「ずっと不甲斐ない自分で生きていくくらいならいっそ死んでやる」そんな思いがあったんじゃないだろうか。本当にメロさんが不甲斐ないかなんてわからないし、本当に死んでやるなんて思ってないだろうけど、彼が「もうすぐ死ぬ」と言っていたのは、思春期特有のはしかがおっさんになっても続いていただけじゃないだろうか。 でもそれは、そう考えてるだけで、不甲斐なくとも、しょぼくれていようとも僕らの人生は続いていくのである。その前に死ぬ人なんてほとんどいない。僕らはどんなにしょぼくれたって、どんなに情けなくたって、情けないおっさんとして生きていくのである。 なんだか妙にメロさんのことが愛おしくなった。僕が11番をひいて生かしてあげるべきだったとすら思った。 「はい、最後ですよ」 店員はサイコパスみたいな笑顔で最後のクジをメロさんに手渡した。メロさんがゆっくりとそのクジを開く。死の番号「11」を見るために。 「12番!」 メロさんのクジは12番だった。最初からクジに11番は入っていなかったのである。それは店員のミスだったのか、それとも故意だったのか分からない。 「よかったですね」 サイコパスみたいな笑顔でそう言う店員を見て、なんとなく、故意なんじゃないかな、クジを作る店員さんの粋な計らいだったんじゃないかな、メロさんに死ぬなって言いたかったんじゃないかな、そんな気がした。 メロさんは11番をひかなかった。ひいたら死ぬなんて誰も本気で思っていなかったけど、それでもメロさんは生きることになったのだ。 あれからしばらくして、また件の店に並びに行くと、相変わらずメロさんが「もう少しで死ぬ」と言っており、サモハンが苦々しい表情をしていた。 「こんな世の中去るべきさ、俺はもうすぐ死ぬんだ」 そう言っていたメロさんだったが、僕だけがあの日、生きたいと言っていたことを知っている。きっと彼はこんな世の中に未練があるのだ。それはなんであろうか。 こうやってサモハンを含めた常連や店の人、それらに囲まれてギャーギャーやっている薄っぺらい絆こそが、メロさんが生きるということなんだろうと思う。僕らは薄っぺらい絆の中に生きているのだ。 どんなに老いぼれ、情けないおっさんになったとしても、どんなにつまらない日々であっても生きていくのである。昨日、今日と徐々に老いながらつまらない明日を生きていくのである。たくさんの絆に囲まれながら。 あの生死を賭けた抽選の日、11番かどうかの場面でひいた僕の6番はそんなメロさんの周りの絆に気づかせてくれる6番だった。そうきっとそれこそが“絆の6”(※)なのだ。 (※輝かしい未来の意) 【pato】 テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。ブログ「多目的トイレ」 twitter(@pato_numeri) (ロゴ/マミヤ狂四郎)
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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