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SNSで”忙しいアピール”をするおっさんと、金魚の墓場――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第5話>

オオシタが目の敵にする、”ダッカルビ”なる存在とは

 それはインスタ映えを狙って綺麗な写真を上げる女子供と根柢の部分で何ら変わりはないのである。そう、忙しさアピールとはおっさんにおけるSNS映え、カラフルで綺麗な綿菓子も夕日の浜辺も、おっさんにかかれば全部「終電帰りに書類の山」になる、それだけなのだ。  オオシタは、そこに「周りが無能なので有能な自分に必然的に仕事が集中する」という立ち位置を見出した。これは「意図しない忙しさ」に通じ、ストロングスタイルの忙しいアピールである。こんなに忙しいのは会社がおかしい、社会がおかしい、周りが無能、なのである。  それでも引き受けてしまうお人好しな自分と、それでも飄々とこなしてしまう「やれやれ系主人公」というアピールも同時にこなせるのだ。そして本人は表面的には「自虐」というステージにいるといいとこづくめ。忙しいアピールは万能なのだ。  オオシタはそういった有能アピールの投稿が続いた。時にはちょっと意味が分からなかったが、アメリカの大統領の投稿を引用したり、CNNニュースを引用したりして英語の投稿を引用することがあった。これはなんなんだろうか。  しかしながら、基本的におっさんの忙しいアピールは報われない。なぜなら、人は人の忙しさに興味がないからだ。相手がおっさんなら特にその傾向が強い。  カラフルな綿菓子や綺麗な夕日、エグザイルみたいなサングラス、この辺は興味がある人がいるかもしれないが、おっさんの忙しさに興味がある人はそうそういない。つまり、いくらアピールしても思ったほど周囲から色好い反応が得られないのだ。 「相変わらず激務ですね、お体に気を付けてください」 くらいの反応である。どうせそんなこと思ってもないだろうという反応しか来ない。そこで周りの反応を気にしないというスタイルなら良かったのだが、オオシタはそれが不満だったらしく、周りからの反応を求めてどんどん過激なことを書き始めた。 「周りが無能すぎる。ここは幼稚園か? 特に“ダッカルビ”あいつはひどい」 「俺がいないと何もできない。特に“ダッカルビ”がひどい。あいつはこの職場のガンだ」 「“ダッカルビ”は死んでほしい、むしろ生まれてこないで欲しかった」  周り無能アピールが行きすぎ、悪口を書き始めた。しかも「ダッカルビ」なる無能を物凄い勢いでdisり始めたのである。  オオシタのダッカルビに対する悪口は痛快で、なかなかの面白さがある。周囲からの反応も良さそうだ。それにしてもさすがに盛りすぎだろ、ここにそんな無能はいないぞー、ダッカルビひどいだろー、と思った。 「最近、忙しそうだけど大丈夫?」  あまりに彼のSNSが過激になってきたので、ちょっと心配になってきて、現実世界の方でオオシタにそう声をかけた。すると、その後にSNSではこう書かれていた。 「今日、ダッカルビのクソが話しかけてきやがった。何が大丈夫? だ。クソが話しかけてくるんじゃねえ。仕事しろ。」  ダッカルビ、僕だった。
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やっぱりおっさんと”死”は親和性があるのだ
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