更新日:2018年11月07日 12:48
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西島秀俊のセクハラはOKでも、普通のおっさんは存在自体がセクハラである真理――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第16話>

高校の体育祭で、この世の理不尽を目の当たりにしたのだ

 しばらくすると、僕の番がやってきた。バシャバシャと水を跳ね上げる音をたてながら颯爽とタクシーがやってきた。  タクシーに乗り込むと、すぐに先ほどのことを運転手さんに話した。 「あー、ありますねーそういうこと。私たちなんかも商売柄、とにかくセクハラには気を付けますよ。こっちがその気なくても、ですからねえ」  運転手さんは当たり障りなくそう答えた。  ちょっと興奮が冷めやらなかった僕は、それに続けて自分の経験談も話し始めた。  僕が高校生だった頃、体育祭があった。その時僕は入場門の横に待機していて、次の種目に出場する選手を誘導する係をやっていた。下の学年の女子などを眺めては「ケツがプリンプリンしとるのー」などと考えて暇をつぶすくらいしかない退屈なポジションだった。  次は女子による短距離走という時になって、入場門横には100人くらいの女子が集結しだした。単純に考えて100個のケツで、それが二つに割れているわけだから200ピースだ。とんでもないことである。多感な高校生男子にはいくぶん刺激が強く、ちょっとパニックで酸欠になりかけたほどだった。 「キャー!」  そのうちの1つのケツ、じゃねえや、一人の女子から黄色い歓声があがった。 「マジかっこいい!」  見ると、本部席の脇に英語の田所先生がいた。イケメンでスマートで爽やか、その辺の容姿や人柄で人気の先生だった。その田所先生がめちゃくちゃ望遠のバズーカ砲みたいなカメラを携え、競技を撮影していた。何かの広報に使う写真だったのだろうと思う。  田所先生は縦横無尽に動き、まるでバルログのようになってパシャパシャと撮影していた。待機列の女子高生たちも大興奮である。ケツを震わせて田所先生に酔いしれた。 「あーん、わたしも撮影して欲しい!」 「あのカメラでめちゃくちゃにして!」  といった勢いである。 「あの長いレンズがプロっぽくてかっこいいよね」  バズーカみたいになった望遠レンズを指してそう言っていた。なんにせよ、田所先生大人気である。僕はずっとケツを眺めていた。  前の競技が長引いた。たしか長距離走か何かで、途中でケガをした男子が足を引きずりながら走る感動的な場面が演出されたところだった。待機列のケツたちはあまりに待機時間が長くなったためにダレ始めていた。そして、1つのケツ、じゃないや一人が声を上げる。 「ちょっとあれ……」  そこには通称ゲシュタポ先生がバズーカ砲みたいなカメラを携えて立っていた。たぶんだけれども、田所先生とゲシュタポ先生は同じ広報担当だったんだと思う。田所先生が何か用事が入ったのか、持っていたカメラを託されてゲシュタポ先生が撮影にあたっていた。ゲシュタポ先生は、ちょっとキモい感じのおっさんで、特に女子から嫌われていた。 「ちょっと、キモいんですけど」 「なにあの長いカメラ。めちゃくちゃオタクくさいんですけど」  罵詈雑言の嵐だった。 「あの望遠レンズで私たちを盗撮しているのかもしれない。いやー!」  待機列が一気に阿鼻叫喚の生き地獄となった。みんなケツを震わせて悲鳴を上げた。ゲシュタポ先生は田所先生と同じカメラを持っていただけなのにこれである。やってることも同じなのにこれである。僕はその光景を見ながら、この世はとんでもない理不尽の積み重ねでできているんだなあ、と理解したのだ。
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100個のケツ、全部好きなんですか? 全部舐められるんですか?
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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