更新日:2019年08月01日 22:52
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勝谷誠彦氏は仕事に厳しかった。いい加減な言論には左右関係なく容赦なかった/倉山満

勝谷誠彦氏

11月28日、コラムニストの勝也誠彦氏が肝不全のため亡くなった。享年57。テレビのコメンテーターとして活躍したほか、SPA!でも長年、巻頭コラムを連載

勝谷氏は仕事に厳しかった。いい加減な言論には左右関係なく容赦なかった

 パソコンに向かった瞬間、勝谷誠彦さんの訃報が飛び込んできた。  勝谷さんといえばコラムニストで、長くSPA!本誌巻頭言「ニュースバカ一代」を連載されていたので、SPA!読者諸氏にとっても、おなじみだろう。  勝谷氏は、仕事に厳しい方だった。世間では保守と目されていたが、いい加減な言論には左右関係なく容赦なかった。もう、あの良質なコラムが読めないのかと思うと、あまりにも惜しい。  私の印象に残るのは、クリミア半島現地取材だ。戦場取材もいとわず、知りたいと思えば、どこへでも飛び込んでいた。  それでいて、「月に100冊読む」という大変な読書家で、アカデミックな話題がポンポン飛び出す。あえてたとえるなら、生き急いでいるかのようなインテリだった。  そうした無理がたたったのだろうか。うつ病をわずらい、さらに40年間1日も休肝日を作らず飲み続けたのが祟り、遂に病を発症。残念ながら、二度と会えない人となった。  SPA!本誌でも新潮45事件の特集でインタビューに応じ、完全復活かと思っていた矢先だった。残念としか言いようがない。  勝谷さんの雑誌記者、フリーライターとしての活躍はご存じの通りだから、私は多くを語らない。私にとっては、ただただ恩人である。  私は思うところあって地上波の仕事は原則として断っているのだが、その2回しかない例外の一つが、勝谷さんにお誘いされた時だった。  勝谷さんといえば、死ぬ直前の体力が尽きるまで、毎日5000字のメルマガを書き続けていたが、ある日、一面識のない私のことを取り上げてくださり、「この人、出てくれないかな」と書いてくださったのを、ある方から教えられて、「そこまで評価してくださるなら」と出演したのが4年前のサンテレビ『カツヤマサヒコSHOW』だった。
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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