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安倍首相の外交は中曽根内閣の劣化コピーとしか思えない――倉山満

言論ストロング

10月26日、安倍晋三首相が日本の首相として7年ぶりに訪中し、習近平国家主席および李克強首相と会談した。李克強首相(右)と握手する安倍首相(写真/時事通信社)

なぜ丸山眞男は、「ファシズム」の定義を隠したのか?

 むかし、むかし、その昔。“チョベリバ政治学者”がいた。その名を丸山眞男。  東京大学法学部教授にして、朝日新聞や岩波書店の常連言論人だった。代表作は『現代政治の思想と行動』である。この著書は戦後日本を代表する政治学の古典とされている。丸山の業績は、戦前日本を「超国家主義」と分析したことらしい。  では、「超国家主義」とは何なのか。単なる「国家主義」とは、どこが違うのか。そもそも「国家主義」とは何なのか。丸山は、同著で明らかにしていないらしい。「超国家主義」を語った学術書で、その定義を示さない時点で学問失格であるが、日本人はよほど権威に弱いらしい。東大教授の言っていることというだけで、信じる人が多発した。  丸山の使う「超」とは、渋谷の女子高生が単語の頭に何でもかんでも「チョ~」をつけていたのと、まったく変わらない。だから、“チョベリバ政治学者”なのだ。ちなみにチョベリバとは「超ベリーバッド」の略だそうだ。  丸山眞男というのは、「こじらせ東大教授」である。戦争に負けた悔しさを政治分析にぶつけたはいいが、何をこじらせたのか、「戦前日本は0点の悪だ」という結論から逆算して大量の文章を書きなぐり、「戦後日本は100点だ」という単細胞的な結論を引き出した。  はっきり言えば生前の丸山など、詐欺師である。だが、詐欺師の言説にも学ぶ点はある。丸山は戦前日本を「ファシズム」だ、と決めつけた。では、「ファシズム」とは何か。独裁政党が国家の上位にある体制である。国家を至上の存在とする「国家主義」とは同時に並立しえない。だから戦前日本を「国家主義」と呼ぶことができず、無理やり「超国家主義」という概念をひねり出したのだ。ただ、戦前日本を罵倒する為だけに。  だから、丸山の著作をいくら読んでも「超国家主義」の定義など出てくるはずなどないのだが、問題はそこではない。なぜ丸山が「ファシズム」の定義を隠したか、である。  丸山が生きた時代、「独裁政党が国家の上位にある体制」と言われて真っ先に思いつくのが、ナチスドイツである。アドルフ・ヒトラー率いるナチスは独裁政党としてドイツを支配した。丸山は、ナチスに戦前日本を照らし合わせ、これでもかと罵倒を並べた。  もう一つ。ソ連である。ソ連も共産党という独裁政党がロシアを乗っ取り、周辺諸国を支配し、絶頂期には地球の半分に影響力を及ぼした。敗戦後の日本は、親ソ勢力が言論界のほとんどすべてを占め、保守どころか中道勢力すら発言の場がない、悲惨な言論状況だった。大真面目に、「祖国の祖は、ソ連のソ」と言って憚らない親ソ派が跋扈していた。丸山が言論人として生き残るには、そのような大勢に媚び諂う必要があった。間違っても、「ソ連はナチスと同じファシズム国家だ」などと口にしてはならないし、思われても困ったのだ。だから、ファシズムの定義を隠したのだ。  それでは真実が伝わらないではないか、言論人としてそれでよかったのかと思われた方々は、申し訳ないが世間知らずである。ソ連が崩壊して少しはマシな言論状況になった今でも、商売の為に筋を曲げる言論人を百人や二百人くらい即座にあげられる。当時の悲惨な言論状況にそんなマトモを求めてどうするのか。
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中華人民共和国はファシズム国家ではないのか?
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嘘だらけの日独近現代史

世界大戦に二度も負けたのに、なぜドイツは立ち直れたのか?

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