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勝谷誠彦さん、死去2ケ月前の病室からのラストメッセージ

 11月28日午前1時48分、コラムニストの勝谷誠彦さん(57)が肝不全のため亡くなった。 テレビのコメンテイターとして活躍したほか、週刊SPA!でも長年、巻頭コラムを連載していた。
勝谷誠彦2015年

勝谷誠彦さん、2015年

 今年8月21日から緊急入院していた勝谷さんだが、実は週刊SPA!10月2日発売号で“病室インタビュー”をさせてもらった。テーマは『新潮45』の休刊について。外出禁止・絶対安静の状態だったが、とても元気で精力的に語ってくれた。  10月16日には「勝谷誠彦の『血気酒会』~地獄からの生還~」と題する動画をアップしたものの、その後、再入院してかえらぬ人となってしまった。  勝谷さんの思い出は多すぎるのだが、追悼に代えて、ここにインタビューを公開する。雑誌文化を愛してやまなかった勝谷さんのラストメッセージは、「言論には言論を」であった。

病室で妄想に駆られていた

勝谷:はじめに断っておくと、俺は新潮45の問題記事を全部読んだわけじゃない。右脇腹に激痛が走って8月に緊急入院してから集中治療室で生死をさまよっていたんだから。40年間365日、一日も休まずに一定量のアルコールを摂取し続けた結果、がこれ。多臓器不全を起こしてすぐに死んでもおかしくなかったから、病院に運び込まれてすぐに「ご家族の方を呼んでおいてください」ってなったんだから。  肝性脳症といって、肝臓機能の低下による意識障害も起きていたの。カルト教団に監禁されている妄想に駆られて、ベッドの上では暴れまくり。そのせいで拘束具をつけられて2週間以上寝たきりになった。今でも、病室内を歩き回るのも禁止されていて、動き回らないように飼い犬のリードのようなものを最近までつけられていたの。そんな生活で本も持てないほど筋肉が弱ってしまって、ロクに雑誌も読めなくなってしまったんだよ。  でも、新潮45がミスを犯した理由ははっきりしているんだよ。一つは、俺に書かせなかったこと(笑)。新潮45は途中から完全に二構造分解していたんです。だって、とり・みきさんの「プリニウス」や佐伯啓思さんの「反・幸福論」とか、新潮45の連載ものはめちゃめちゃ極上なんですよ。この文芸と報道の温度差が生じていた。  新潮社の編集者は超インテリなもんだから、クソなことをやろうとすると徹底的にクソなことを極めようとするわけ。俺ほどじゃないけど、頭がよすぎるのも考えものだね。クソな特集を完璧に作るために、名前も知らないような書き手を引っ張ってきて、構想どおりの特集を作っちゃったのが「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」なんだよ。
勝谷誠彦2015年5月

同じく2015年、うつ病だと告白したころ

マルコポーロ廃刊事件の裏側

<勝谷氏は文藝春秋の編集者だった1995年、月刊誌『マルコポーロ』の廃刊を経験した。当時の編集長は花田紀凱氏(現『月刊Hanada』編集長)。ホロコーストに関する陰謀史観的な寄稿文を載せ、国際的な批判を浴びたためだ。> 勝谷:俺が経験した「マルコポーロ事件」と今回の新潮45は、突然の廃刊という共通点はあるけど、事情はまったく異なる。新潮45はドメスティックで時事的な反発を受けたけど、マルコポーロは国際的な批判を浴びた。新潮45は検証特集を掲載したけど、マルコはそれさえできなかった。  なんで、あんな記事を載せてしまったかというと、年末校了で忙しかったというのがある。バタバタで、全員が原稿に目を通しているけども、みんな“通したフリ”。発売日に阪神・淡路大震災が起きたから、批判を受けて対応する余裕もなかった。俺は「天下の文春が総括号を作らないのはどういうことだ!?」「廃刊は言論の放棄だ!」と抵抗したんだけど、上層部には聞き入れられなかった。  というのも、マルコポーロ事件は “花田一派”の排斥に利用されたという一面もあったの。文藝春秋内の醜い権力闘争とも密接に関係していた。だから、花田さんは窓際の社内編纂資料室に飛ばされ、俺は取材費も制作費もないような第二文庫部に飛ばされた。このときに悪夢の出会いがあったんだよね。『日本酒の愉しみ』(文春文庫)という本を作ったら、あっという間に全国の有名酒蔵と人脈ができて、ますます酒量が増えちゃったわけ。
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