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ゴーン前会長の報道は恥さらし? 日本の司法は文明に値しない/倉山満

警察が検察に送った事件の4割は不起訴

 要するに、木っ端役人が個人の権利を侵害できる国は、文明国ではないのである。  特に重要なのは、権力分立のなかの、司法権の独立である。裁判は国民に直接的に権力を行使するが故に、時の行政府から独立してはならないとする原則のことである。具体的には、裁判を起こすのは、政府の一機関である検察庁だ。その裁判で判決を下すのは裁判官である。もし裁判官と検察官が手を組めば、無罪の一市民を有罪にできるのは自明だろう。司法権の担い手である裁判官と、行政府の役人である検察官は、絶対に癒着してはならない。これを「司法権の独立」という。この独立が守られている国が近代国家であると断言しても、過言でも何でもない。  そして、近代国家の刑事裁判において、「裁かれる」のは検察官である。司法権が行政権を裁くのである。裁かれるのは被告人ではない。  その証拠に、文明国の大原則を述べよう。文明国の刑事裁判では、Due process of law(法の適正手続き)が求められる。簡単に言えば、検察官は被告人の有罪を100%挙証しなければならない。仮に1%でも疑いがあれば、被告人は無罪となる。被告人は自分の無罪を証明する必要などない。検察官が裁判官に対し、無罪かもしれない一人の市民の有罪を挙証しなければならないのだ。日本国も、他の欧米諸国と同じように、この制度を採用している。  さて、そうした我が国の刑事裁判において、被告人の有罪率(つまり検察の勝率)は何%か。  99.9%である。  この数字は、かのスターリン時代のソ連よりも高いとか。  他の文明国と同じ制度を採用し、文明国としての原則を採用しながら、この数字。我が国の検察は「精密司法」と呼ばれている。しかし、本当に優秀なのかどうかは、疑問が残る。  我が国では、裁判を起こせるのは検察だけである。最近、検察審査会という例外ができたが、誤差の範囲なので無視してよい。確かに、検察が起訴した事件の勝率(有罪率)は99.9%だ。だが、警察が検察に送った事件の4割は不起訴になっている。言ってしまえば、警察が犯罪者だと思って逮捕した人間の4割が裁判にかけられることなく無罪放免となっているのである。  警察が逮捕した人間の6割だけが起訴され、その中の99.9%が犯罪者となっている。残り4割が犯罪をやったかどうかは、裁判にかけられない以上、真実はわからないという現実をどう捉えるべきか。
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異常なまでの検察の勝率
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