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近所の保育園に現れた不審者。どうりで見覚えがあると思ったら……――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第64話>

 昭和は過ぎ、平成も終わり、時代はもう令和。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第64話】「保育園クライシス」  自転車で通勤していると、その道中に様々なものがある。よく分からない地蔵や、絶対に市の人が騙されて設置したとしか思えないオブジェだとか、謎のゴミ屋敷だとか、いつ営業してるんだか不明の焼き鳥屋だとか、そういったものが沢山ある。なかなか興味を惹かれるものばかりだ。  そして僕の通勤経路は異様に保育園が多い、という特徴がある。たまたまなのだろうけど新しいものから古いものまで通勤経路に4つくらいあったりするのだ。ちょっとした激戦区だ。  朝の保育園は戦争だ。僕の通勤時間と保育園の預けピークが重なるらしく、お母さんと別れたくなくて泣き叫ぶ子供に遭遇する。お母さんは優しく宥めつつ、仕事があるので早く行かなければならず焦る。保育士さんも優しく声をかける。それでもこの世の終わりのように断末魔の悲鳴をあげる子供、毎朝見る定番の光景だ。  たぶん4月をちょっと過ぎたくらいの頃だったと思う。桜も散り、真新しいランドセルを背負い、少しだけ小学校に慣れた小学生たちが元気に走っていく、そんな季節だった。  その日は自転車がパンクしていた。それも四か所。パンク修理キットでは手に負えないので後日に自転車屋に持っていったらおっさんに「まきびしでも撒かれたの?」と言われるくらい苛烈なるパンク具合だった。  そういった事情でお気に入りの自転車は使えず、まあ、季節もいい感じで心地よいので歩いて通勤することにしたのだ。  そうすると、まず、歩きと自転車では見える景色が全然違うことに気が付いた。おまけに時間も少しズレるようで、保育園のピークが終わり、どの保育園もいつもとは打って変わってヒッソリとしていた。奥の方からほのかに子供たちの歓声と歌が入り混じって聞こえるくらい、あの毎朝の戦争が嘘のような静けさだった。  「あらっ」  そこに、小さな子供を連れた同僚の女性が立っていた。  「あれ、この保育園なんですか?」  僕がそう話しかけると同僚女性は少しだけ照れ臭そうに笑った。 「そうなのよ、この保育園に息子を預けてからの通勤で大変よ。いつもギリギリ」  言い終わると、いつも遅刻ギリギリであることを思い出したのか、誤魔化すようにしてさらに笑った。反面、息子さんの方はお母さんと別れるのが嫌なのか、ムスッとしていた。  なんだか同僚女性の意外な一面を見た気がした。いつもは単なる同僚の女性だが、家ではお母さんなのだ。それに、保育園に子供を預けてまで働いているなんてちっとも知らなかった。すごい立派だな、と感嘆しかなかった。僕が知らないだけで、職場の人はもう一つの顔を持っているのである。なんだかそれを強く実感した。  これまでもニアミス的なことはあっただろうに、たまたま自転車がパンクして時間がズレ、その事実を知った。なんだかその巡り合わせがちょっと面白かった。
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保育園に不審者注意喚起のチラシが……
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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