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ここに告発する。僕がウンコを漏らした、南相馬鹿島SAを許さない――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第62話>

 昭和は過ぎ、平成も終わり、時代はもう令和。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第62話】怒りの南相馬鹿島SA  僕は今、とても怒っている。  この怒りをどう表現したらいいのかずっと考えているのだ。怒りの表現、表明、これがまた意外と難しいのだ。  普通なら、ここ「おっさんは二度死ぬ」も連載という形式であるし、少なからず面白い文章を期待して読む人がいるはずだ。物書きの端くれとしてもやはり、どんな事象であっても面白おかしく書きたいものだ。それは常に思っている。けれども、それでは怒りが薄れてしまうのだ。  怒りと面白さ、それは相反する部分がある。純真な怒りだけを描いてもよほどのことでもない限り面白くはならないし、じゃあ面白く書いてみると、なんだ、そんなに怒ってないじゃん、と間違った形で伝わってしまう可能性がある。いつもならそれでも構わないが、今回の事象だけは本意ではない。  僕は怒っているのだ。本当に怒っているのだ。それが少しでも皆さんに伝わるよう、今回は怒りのみで書いてみようと思う。本当に怒っているのだ。この悲劇を繰り返して欲しくない、その想いで書かせてもらう。  その日は午後から都内で取材が入っていたので、仙台から東京へと戻るためレンタカーを走らせて早朝から常磐道を爆走していた。常磐道とは埼玉の三郷から千葉県をかすめて茨城県、福島県と海沿いを走り、宮城県へと至る高速道路だ。  福島県や宮城県部分ともなると、ところどころ対面通行になっている。そんな道路だ。必死で4車線化工事をしていたが、まだまだ時間がかかりそうだった。  こうして片側1車線の対面通行になると、遅い車で塞がれ、車列が形成されることで流れが悪くなる場面が多々ある。いつ煽り運転が発生するかとヒヤヒヤする気持ちもあるくらいだ。  僕はそんなに急いでいなかった。取材までも時間の余裕がある。それにそこまで短気でもない。どんなに車列が詰まっていようが、制限速度を大幅に下回る速度で流れていようが、雄大な気持ちでいられる。アクセクしたってどうしようもないのだ。  本来なら、仙台から都内なら東北道を利用するべきだろうが、ラジオによるとちょっと悪夢と疑うレベルの大渋滞をかましているようだったので、この常磐道を通ることにしたのだ。  常磐道を通過しながら海を見ているとなんだか昔のことを思い出した。  「俺は気兼ねなくトイレに行ける社会にしたいんだ。だから政治家になる」  それは同級生の柿沢の言葉だった。当時、僕らの中学では、トイレの大便ブースに入ろうものならウンコマンと名付けられ、瞬時に全ての人権を剥奪されるといった弾圧が当たり前のように行われていた。  そんな風潮を打破し、誰もが気兼ねなく学校でウンコをできる、そんな社会にしたいと理想を語る男、それが柿沢だった。熱い魂と志を持った男なのである。  「もしデパートのトイレとかで大便する個室が満員だったら壁際の個室を狙え。俺の経験上、壁際は少しだけ空きやすい」  そんなよく分からない理論を振りかざしてくる男でもあった。そもそも田舎で生まれ育っていたので、そこまで大便ブースが超満員というケースはなかったが、大人になってから東京で暮らすようになってからは数多く遭遇した。  だが、都会では普通にブースの場所関係なく行列を作るので、あまり意味のない理論だと気が付いた。どこが早く空くかなんてほとんど関係ない。意味のない理論をあんなドヤ顔で語っていたのである。柿沢とはそういう男だ。  柿沢のことを思い出していたら、なんだかお腹の調子が悪くなってきた。早い話、ウンコをしたくなってきたわけだ。
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地獄の便意を抑え、やっとのことで南相馬鹿島SAに到着
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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