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おっさんは、全てにおいてタイミングが悪い。そりゃもう壊滅的に――patoの「おっさんは二度死ぬ<第69話>

 昭和は過ぎ、平成も終わり、時代はもう令和。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第69話】涙サプライズ  おっさんとサプライズってそもそも相性が悪い。  こういっちゃなんだけど、サプライズってハッピーなものじゃない。仕掛けるほうも仕掛けられるほうもハッピーで、しかもそのサプライズがもたらす新たなハッピーさも予定調和のごとく理解しているところあるでしょ。あれはね、そういうのができる人たちのものなんだよ。  誕生日にサプライズで祝っちゃお! なんて純粋な気持ちで言い出す人はそのサプライズによって対象の人物が確実に喜ぶと信じて疑わない人なわけ。サプライズされる人だって、「お、サプライズだな」と瞬時に感じ取って喜べる人、涙とか流せる人。ある種の信頼のバトンリレーみたいなものがそこにあるの。  けれども、そこにおっさんが入るともうダメ。絶対にダメ。まず純粋に喜べない。  大抵は照れ臭いとかそういう理由だろうけど、まあ、サプライズされて喜べるおっさんって大抵は上手くいってるおっさんだ。上手くいってないおっさんは喜び方を知らない。驚き方を知らない。脳の理解が追い付かない。バグる。そこでバトンリレーが終わってしまうのだ。  そんな態度だからもちろんサプライズで人を喜ばせようなんて露にも思っていないわけなんですよ。仕掛ける方にも仕掛けられる方にも向かない、それがおっさんという存在だ。  もうずいぶんと前の話になるが、僕の住んでいたアパートの近くに空き地があった。  荒れ放題の草むらで、近所の悪ガキが隠れてエロ本とか見ているような場所だった。何があったのか分からないし、たぶんその悪ガキが何かしたのだろうけど、その空き地でボヤ騒ぎみたいなものがあった。草とか全部焼けてしまった。  ボヤ騒ぎの後は柵が張り巡らされて立ち入り禁止になったのだけど、それからしばらくしてその封鎖も解かれ、空き地の中央にプレハブが建てられることになった。どうやら、ボヤ騒ぎで嫌になった地主が売りに出したらしく、それを買った人が商売を始めようとプレハブを建てたようだった。  「節子ちゃん」  プレハブには昭和しか感じないような看板が据え付けられた。どうやら飲み屋というか、スナック的なものができるらしい。どうやら別の場所で営業していた店が移転してくるらしく、オープンの日は常連などから仰々しい花輪が贈られていた。  僕はというと、そういった飲み屋やスナックに通う趣味はないが、夕方くらいに出る日替わり定食がリーズナブルな値段の割にはボリュームがあり、完全にお得だったのでそれだけを目当てに通うようになっていた。  店名から分かる通り、その居酒屋は節子と呼ばれる肝っ玉母さん的なおばさんが切り盛りしており、その節子のファンであろう常連たちの集団が形成されていた。何人か定食のコスパに魅了された大学生もいたが、基本的には近所に住むおっさんたちが常連だった。
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やたらとサプライズにこだわる若者にちょっと引く
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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