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ダメ人間だらけの禁煙サークルとオールブラックス――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第67話>

 昭和は過ぎ、平成も終わり、時代はもう令和。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第67話】禁煙サークルと僕  タバコをやめてそろそろ10年になる。  僕が吸っていた当時は、まだマイルドセブン(現在は名称をメビウスに変更)という銘柄のタバコがあり、値段も300円前後と安価だった(2019年10月現在、メビウスで490円)。  喫煙に対してもおおらかな時代で、あちこちで路上喫煙していたし、分煙もほとんど進んでいなかったし、吸える場所もかなり多かった気がする。そう思うと、たった10年だが社会の流れが大きく変化したように感じる。  やめてから10年も経つと、もはや「吸いたい」という気持ちは皆無で「懐かしい」という気持ちになってくる。けれども、よくよく考えると禁煙をした直後もそこまで「吸いたい」とは思っていなかったので、もともとそこまで好きでなかった可能性がある。  僕の禁煙方法はちょっと特殊だったかもしれない。  一日にだいたい一箱(20本)くらい吸っていたが、突然すべてを断つという方法を採らなかった。20本ちょっと吸っていたタバコを3本に限定して大幅に数を減らしたのだ。  この3本には根拠があって、「タバコは食後に吸うのが一番うまい」という格言があり、本当にそうだったので、毎食後のタバコだけはキープしておくスタイルにしたのだ。  これが功を奏したのか、そこまで辛くなかった。食後に吸うたばこだけで十分に満足が得られた。けっこう長い期間、その3本体制で過ごしていき、慣れてきた頃には食後のタバコすらも忘れる日が出てくるようになった。そしていつのまにかやめていた。  おそらくだけれども、これは何かをやめるときの理想的な流れだと思う。やめる! そう決意して行動することはなかなかストレスだ。決意した段階で意識してしまうので苦しい。できれば自然の流れで達成するべきものなのだ。  ただ、この禁煙の過程においてもがいているおっさんたちを山ほど見てきた。  それは、タバコ3本体制にもいい加減に慣れてきた頃合いに、知人の勧めで参加した地域の禁煙サークルでのことだった。  地域の公民館で催される集まりで、例えば偉い先生がやってきて禁煙のレクチャーをしてくれるとか、禁煙外来みたいなことをしてくれるだとか、カウンセリングをしてくれるだとか、そういった積極的なものではなく、ただ、禁煙を志す人々が集まって話し合おう、苦しいのは自分だけじゃない、というものだった。  その禁煙サークル開催の日となり、指定された公民館に行ってみると、扉の前でスパーっと豪快に煙を吐き出すおっさんがいた。  まさか、禁煙サークルの参加者じゃあるまい、そう思った。だって禁煙サークルなのだ。禁煙しようと志す人たちが集まるサークルなのだ。こんな扉の前でモワッとタバコを吸うなんて、普通の感性ならやれるはずもない。そんなやついるわけがない。いるわけがない。 「お、兄ちゃんも参加者? 禁煙サークルだろ?」  いた。
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禁煙サークルとは名ばかりの喫煙者集団がそこに
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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