更新日:2023年05月15日 13:20
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クリスマスのおっさんに起きた奇跡、そしてペガサス――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第74話>

おっさんはこの光の中に一人、投げ出されるのが怖かったのかもしれない

 また静寂が戻った。誰かを待つ数名だけが棒立ちし、クリスマスツリーだけが忙しそうにチカチカとあの手この手で光を見せる。落ち着いて考えるとちょっとアンバランスな空間であり、殺伐としており、そこに置かれたこのツリーがあまりに能天気で笑ってしまった。  ガラス戸を誰かが開ける、わっと冷気が入り込んできて、入れ替わるように暖かい空気が逃げ出していく。同時に誰かの待ち人も入ってきて、なにやら談笑しながら去っていく。  また冷たい風が入ってきて、誰かと誰かが去っていく。いつしかさっきの叫んでたリスキーなおっさんと僕だけが取り残される状況になっていた。  そんな状況にあってもクリスマスツリーはテカテカと小刻みに輝いていて、それがなんだかシュールで、まさかこのツリーもおっさん二人に見せるためだけに輝く羽目になるとは思ってなかっただろうな、と考えてしまった。 「飲み屋の女?」  おっさんがまた独り言を言い出した。 「飲み屋の女?」  もう一度言った。  またどこかに電話をかけているのかと思ってスルーしていたら、どうやら僕に話しかけていたようで、真横にまでやってきてそう言った。 「へ?」  何を言ってるんだか分からずに素っ頓狂な返事を返す。 「飲み屋の女って誘っても全然来ないよな!」  いきなり訳も分からずよく分からない同意を求められることになってしまった。どうやら待てども待てども待ち合わせ相手が来ないのが僕とおっさんだけなわけで、あいつも相手がやってこない、きっと飲み屋の女と約束したに違いない。あいつら誘っても来ないから、みたいに思ったらしい。なかなか思考が飛躍してやがる。 「ええ、まあ」  本来の僕の待ち合わせ時間は1時間後なわけで、勝手に僕が早く来ているだけで相手が来ないわけでもないし、ましてや飲み屋の女でもない。ただ、反論したところでどうしようもないし、けっこう面倒なことになりそうなので、そのまま曖昧に返事をしておいた。 「本当に飲み屋の女はなあ……」  おっさんは何やらブツブツ言い出した。過去に何度も飲み屋の女に煮え湯を飲まされたみたいだ。飲み屋に行って飲んだのは煮え湯でしたか、と言いたいけど言ったらかなりリスキーなことになりそうだ。  たぶん、飲み屋の女と曖昧に約束し、向こうはその気はないけどおっさんだけは真剣で、それでも信じて待つ、そして来ない。それでも彼はまた約束してしまう。そしてまた愚痴る。なんだかそんな悲しい背景が見え隠れした。  また無言の時が流れた。その後に待ち合わせっぽい別の青年が入ってきたが、すぐに彼女らしき人が冷気と共にやってきて、またおっさんと二人取り残されることになった。またコミカルに電飾瞬くクリスマス空間に僕とおっさんだけが取り残されることになった。 「早く来なよ、一人で焼き肉食べちゃうよ」  おっさんはまた飲み屋の女に電話をかけたようで、先ほどの強い口調とは異なり、今度は柔らかい口調で話し始めた。 「クリスマスツリーも見においでよ。いま目の前にツリーがあってね、綺麗だよ」  おっさんのその柔らかな言葉に返事をするかのように、また電飾が瞬いた。  どんな飲み屋の女なのか知らないが、この誘い文句で「うっそ、いくいく、ツリー見たい!」となる展開はちょっと厳しいものがある。
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ついに訳の分からないことを言い出したおっさん
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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