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城島健司が福岡ソフトバンクホークスに電撃復帰。8年の沈黙を破って胸中をすべて明かした

 日米の球界のみならず、五輪、WBCと世界一を争う舞台でも活躍した平成を代表する捕手、城島健司。「歴代捕手シーズン最多安打」「3割30本100打点」「日本人初の捕手としてのメジャー挑戦」など、球史に名を残す実績を挙げながらも、引退後はコーチ業はおろか解説者としての活動もゼロ。 城島健司 メディア出演はもっぱら自身の名を冠した釣り番組のみだった“釣り人”が、8年の沈黙を破ってファン待望の球界復帰を果たした。「球団会長付特別アドバイザー」という聞きなれない肩書で福岡ソフトバンクホークスと1年契約を結んだ“世界のジョー”が、春季キャンプの地・宮崎ですべてを語った。

“帰ってきたジョー”の野望

――電撃的な球界復帰に驚いたファンも多くいます。どんな経緯で復帰が決まったのでしょうか? 城島:ありがたいことに、毎年王(貞治)会長から食事に誘ってもらい「ジョーもそろそろ……」という話はいただいていました。でも、物心ついた頃から生活のなかに絶えず野球があったから、野球選手じゃなくなった自分を俯瞰して見る時間が欲しかったんですよね。  そこに8年ぐらいかかった。その間は魚釣りばっかりしていたので「魚の気持ちがまだわからないので、選手の気持ちなんてわかりません」なんて言って王会長をうまいことかわしてたんですけどね。でも今回は王会長から「こういう役職をつけるからどうだ?」と言われて、もう印籠を出された感じで断れなかったというのが本音です(笑)。 ――引退後、「指導者になりたい」という思いはなかった? 城島:まったくありません。これはいまだにないですね。これまでいっぱい野球をしてきましたから。 ――野球はやりきった、と。 城島:現役時代にお金もいっぱいもらったんで(笑)。会社に行って仕事するときと趣味に打ち込むときと、どっちが楽しいですか? ――……趣味ですね。 城島:でしょ! 僕はそれをしてるだけですよ。天国に行ってまでお金は使えないですもん。 ――とはいえ、球界復帰の一報に歓喜した野球ファンも大勢います。 城島:ありがたいですよね。15年ぶりにホークスに戻ってこられるのは元野球人として幸せなことだと思います。引退して野球界から完全に距離を置いていたのに、福岡の街を歩いていると「あ、城島だ!」っていまだに声をかけてもらえることは本当にありがたいことだと思います。  自分の力で工藤監督、そして王会長にできる範囲で何かサポートをしたいという気持ちはもちろんあります。
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聞き慣れない肩書に込められた“役割”
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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