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大人気「脱サラ怪優」こと佐藤二朗、51歳の素顔

 マニアックな分野の知識を競い合う視聴者参加型クイズ『99人の壁』のMCや、体当たりの芝居が話題を呼んでいるドラマ『浦安鉄筋家族』などで存在感を放ち、今や日本を代表する怪優と言える存在となった俳優・佐藤二朗。しかし、かつて自身の劇団で上演した舞台を映像化し、監督を務めた最新映画『はるヲうるひと』では、そんなパブリックイメージを裏切るかのような狂気を帯びた役どころを演じている。 佐藤二朗 フォロワー数175万人を誇るツイッターでは、妻や息子について語ったツイートが毎回多くの人の共感を呼び、新卒で入社した会社をたった1日で辞めた自身の道のりを「俳優になる運命だった」と述懐。新型コロナウイルスの影響で先行きがまったく見えず、混迷の度合いを増していく令和の世の中を闊歩する51歳の横顔に迫った。

入社当日に夜行列車で故郷に帰り会社を辞めました

――先日ゲスト出演された『嵐にしやがれ』でも話していましたが、リクルートに入社して1日で辞めたというのは本当の話なんですか? 佐藤:そうです。番組でも言いましたけど、子どものときから“将来の夢”とか生やさしいものではなく、俳優になる“運命”だと頑なに、バカみたいにずっと思っていたんです。  けれども、その思いと同じくらいの強さで「俳優で飯が食えるわけがない」とも思っていた。矛盾した2つの強い思いを抱えながら学生時代を過ごしていましたね。だからスポーツに打ち込むとか、学園祭で頑張るとか、何かに熱中することがない、つまらない青春だったんです。  その状態のまま大学を卒業したけど、劇団員になってアルバイトする勇気もなく、とりあえず就職するために東京に出ようという、非常に中途半端な状態でしたね。 ――会社を辞めたときの経緯をもう少し詳しく聞いてもいいですか。 佐藤:僕が就職した当時(’92年)は内定者を2泊3日の合宿研修で囲い込む拘束旅行みたいなものがあったんですよ。そこで江副(浩正)さんのビジネス論を教えてもらい、「働きたい」という気持ちが高まっていた。  でも、入社式をして渋谷の“ビーとら”部隊、今の若い人は知らないだろうけど、『B-ing』『とらばーゆ』という就職情報誌を扱う部署に配属されて。上司を何人も紹介されるうちに、「この人たちとこれから10年、20年やっていくんだ。俺は本当にここで俳優あきらめるんだ」と思ったら、居ても立ってもいられなくなって。 ――え!? 本当にそれだけで辞めようと思ったんですか? 佐藤:ええ。歓送迎会の二次会か何かのパーティで嘉門達夫さん……たぶん当時リクルートのCMをやってたんでしょうね。嘉門さんが歌ってる途中で会場を飛び出して。雨が降ってるなか寮に荷物を残したまま、新宿から夜行列車に乗ってその日のうちに故郷の愛知県に帰ってしまったんです。 ――でも、振り返ればそこで飛び出したから今があるのでは? 佐藤:いや、人生の汚点ですよ。反省しかないです。自分が入ったことでリクルートに入れなかった人が1人いたわけですから。その後、何年かたって同じリクルートの『アントレ』という雑誌から表紙の依頼が来たときは、懐が深いなって思いましたけど(笑)。
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消えていなかった俳優になりたい思い
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