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スナックにはびこる老害客。ゴーマン、ケチ、KYの大三元…

磯山は水と氷だけで6時間居座る

 夜も更けてお客がぽつぽつと増え始た頃、磯山は冷酒を二本で打ち止めて、あとは飲み干されることのないチェイサーに氷を足しつつ、サビしか歌えない『Everyday、カチューシャ』を何度も披露しながら居座っていた。  隣に座った若者が、「こんばんは」と恭しくグラスを掲げて挨拶したが、磯山は憮然とした態度で「ああ、はい。どうも」とグラスを打ち付けるだけだった。彼のこうした態度はどことなく高圧的で、相手を委縮させる。若者はそれきり磯山に話しかけるのをやめ、連れの友人と恋愛話に花を咲かせて笑い合っていた。そうしてしばらくすると突然、磯山が話に割り込んでくる。 「ちょっとアナタさぁ、そういうのはよくないんじゃないの?」  彼らの話の何に対して言っているのかはわからない。友人同士の彼らの他愛のない話の中から、何らかの耳に入った適当なセンテンスに文句を付けている。若者たちは、突然一体なんのことかわからないという表情で目をしばたかせた。  磯山がいると、こうした光景がしばしば見られる。  彼は基本的に人との会話が展開できない。それは、物を知らないとか言葉を知らないとか常識がないとか捻じ曲がった性格とか様々な要因があるような気もするんだけど、残念なことに本人には自覚はないので、知らない話題を黙って聞いていることもできない。だから、絶妙に変なタイミングと変な切り口で話に割り込んでくるのだ。  アウトロー誌に携わるお客たちが現代ヤクザ業界について真剣に語っている中に、いきなり『仁義なき戦い』の話題をぶっこんでいくようなことをしてしまうし、丁寧に説明されたらされたで、「アナタ、そうは言いますけどねぇ」「ほんとにわかって言ってんですかァ」と半笑いで逆に馬鹿にしたような態度を取ってしまう。  話の腰を折るのは中村(第一夜)と似ているが、そこに愛嬌も哀愁もなく、ただただ感じ悪いおじさんとして目に映ってしまうため、誰もかれもが彼に対して腫れものを触るような扱いをするしかなくなってくる。店内はどんよりした空気に包まれるが、そのくせ当の本人はそんな空気を屁とも思わず、その後長時間滞在するのである。その日も、分厚い雨雲をつぎつぎと生み出しながら、磯山は六時間飲み続けた。水と氷を。  冒頭で、災害というほどでも地雷というほどでもないと書いたが、例えるならば、いわくつきの骨董品みたいな感じだ。そこにあるだけで、陰鬱な雰囲気と不安をじわじわと伝播させてゆく。  実は、先日念のためにシステム表を作り変えた。  基本は変わらないが、下の方にめちゃくちゃ小さい文字で「マナーを逸脱していると判断した場合は退席していただく場合が~」とか「一時間ご注文のないお客様はwelcomechargeを~」とかそんな注意書きを付け加えた。全ては磯山対策というか、磯山専用システムといっても過言ではない。プラスチックケースに入れた表をカウンターの隅に忍ばせながら、わたしたちは願っている。このシステム表の出番が当分ありませんように、と。<イラスト/粒アンコ>
(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani
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