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酒飲みはスマホを年に3回失くす。その悪癖は他人のスマホにも…

スマホの忘れ物

第30夜 御神酒の上がらぬ神はなし

<けれども、私は偉大な破壊が好きであった。 私は爆弾や焼夷弾に戦きながら、狂暴な破壊に激しく亢奮していたが、それにも拘わらず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。>-坂口安吾『堕落論』 「今日は飲み過ぎないようにしましょうね」 「そうだね。お互いにね」  仕事前のマスターとわたしの会話である。おおよそ毎日交わされていて、時候の挨拶とか、今度お茶でも、とか貴社ますますのご清栄のこと、みたいなレベルのテンプレートになりつつある。守られたことはほぼない。言霊は言葉によって霊力が福にも禍にも働くと考えられているが、主に禍にしか働かない。強く言った時に限って泥酔している。クソだ。  酒飲みならば誰しも経験があると思うが、例えば友人と二人で飲みに行った時など、相手が先に酔ってしまった場合、自分は自然と酒量をセーブする傾向にある。「こいつの面倒を見なくては」「共倒れになったらいかん」「わたしがしっかりしてなくちゃ」という気持ちがどこかで働いているためなのだろう。カウンターの中ではこの美しい助け合い精神の枠組みだけが作用しており、その実「先に酔ったもん勝ち」という自己中きわまりない思考のもと、わたしとマスターは競い合うようにして酒を飲み、かといって助け合うような優しさはなく、明け方に共倒れる。 「せめてどっちか片方はちゃんとしててくれ」  常連の田中にそう言われたことは一度や二度ではない。  何故、人は酒を飲んでしまうのか。  そもそも酒を飲みたいのか飲みたくないのか時々わからなくなる。  一つ確かなのは、酒を飲まなければ肉体は日々健やかに爽快で、思考は澄み切って、見知らぬ人に暴言を吐くこともバグった胃に大量のラーメンを流し込むことも、気が狂った詰め寄り方をして男にドン引きされることも二日酔いでのたうち回ることもないということである。飲んでいる間はさぞかし楽しかったのだろうが、翌日にその記憶はなく、漠然とした怒りや苦痛や後悔だけが自分の身体と共にへどろのように布団に横たわる。  こうして書き並べると何も良いことがない気がしてくる。それなのに何故。酒に酔って痛い目を見た記憶をさらに酒によって上書きしようとする。何故。そんなことに頭を悩まされている時点で病である。おそらく死ななきゃ治らない。
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年に3回スマホを失くす男
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