ライフ

スナックにはびこる老害客。ゴーマン、ケチ、KYの大三元…

粒アンコ

第三十二夜 仏の顔も三時間

 スナックの扉が開いた瞬間、そこから覗いた顔に対していつものように「いらっしゃ~い」と間の抜けた声を掛けながらも、その時の状況だとかメンツだとかによって思うことは色々変わる。 (うわぁ。この人と仲の悪い○○さんの隣しか空いてないないなぁ。大丈夫かなぁ)とか(のんびり飲みたいタイプなんだろうけど、今すごいやかましく盛り上がってるなぁ。タイミング悪いなぁ)とか、そんなことを思いながらいい加減な濃さで作った酒をがぶがぶ飲みながら日々どうにか業務をこなしているのだが、いつどんなタイミングで来てもらっても(うわぁ。マジか)としか思えない人間も稀にいる。  要は、どの席の誰の隣に配置しても軋轢が生じ、調和が乱れ、業務に支障をきたし、物質的に利益も生まない人間のことだ。災害というほど猛々しくもなく、地雷というほど炸裂もしないが、顔を見るだけで一日のモチベーションとテンションのメーターが最小値を叩きだす。  そんなわけで、磯山が来た。  磯山については「空のボトルを眺めて7時間…スナックに出没する“氷大好きおじさん”の大迷惑な生態」を参照していただけると有り難いのだけど、初見の方のために簡単に説明しておこう。  彼は、基本的に懐に小銭がある時に来店し、時折本当に小銭しかなくても来店する。とうに空っぽになったウイスキーの瓶をしみったれた様子で逆さにして振り続け、新しいボトルを入れることもなく、かといってショットで一杯頼むこともなく、満卓状態で新規の客が来ても席を立つこともなく、それでいて両隣の人間との会話を弾ませるわけでもなくむしろぶった切り、ロックグラスに山盛りにした氷とウイスキーの残滓をちびちびと舐め取りながら七時間居座り続ける老人だ。  自分を労わってほしいという精神が強いためか、話す内容は専ら自らの身体の不具合と、仕事の苦痛とそれに伴った金の無さについてのみである。口癖は「死ぬかと思った」。こうやって羅列すると、妙な面白みを感じないでもないが、現実に相対すると微塵も面白くはない。 「いやぁ。金がなくってよぉ」  早速いつもの台詞を口にしながら、磯山は席に着いた。 「お久しぶりですね。お飲み物どう致しましょうか?」  マスターが、棚から磯山のボトルを取ってカウンターに置く。声の温度はいつもより低い。ボトルの中身は当然空っぽの状態で、持ち主と同じようにくたびれたネームタグだけが劣化した輪ゴムと共に貼り付いている。 「新しいものにしましょうか?」 「いや。今日はいい」  遠慮がちに言ったマスターの提案は間髪入れずに否定された。相変わらずギリギリいっぱいなのだろう。 「今日は冷酒でいいや」 「珍しいですね~。かしこまりました」  この時、冷蔵庫から冷酒の二合瓶を取り出しながら、わたしは心の中でガッツポーズをしていた。ウイスキーをロックで飲んでいる普段の磯山は、グラスからはみ出るほど氷を山盛りにしなければ気が済まないという謎のこだわりを持っているため、十分おきくらいに「氷を入れろ」とか、入れたら入れたで「この氷は少し溶けてる」だとかぼやき、しまいにはアイスペールを絶対自分の前に置いておくよう要求し、たっぷり氷を入れたアイスペールを置いたら置いたで「こんなに入れたら使う前に溶ける」だとか文句を言いだして面倒なので、冷酒ならば仕事が減ると思ったのだ。
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結局氷が欲しいんかい
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