更新日:2021年09月21日 10:10
エンタメ

五輪AV「ヌルリンピック」は4年に一度、僕らの心を照らした

 【おっさんは二度死ぬ 2ndseason】

第5話 -夏の日の2021-

 その便りは5年ぶりに僕のもとに届いた。  大きなアクシデントや重大な方針転換がないかぎり、この文章が掲載される頃には東京オリンピックも佳境にさしかかっていると思う。日本勢のメダルラッシュに沸いているのか、それとも開催維持が困難な状況に陥っているのか想像もできないけど、とりあえずは2021年に東京でオリンピックが開催された、という事実だけは存在するわけだ。  オリンピックがくると必ず思い出すことがある。  週刊連載は終わってしまったが、200巻以上続いた長寿漫画である「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という漫画に、4年に一度、オリンピックの時だけ活躍する日暮巡査というキャラクターが登場する。彼はオリンピック以外の年はずっと寝ていて、オリンピックの時に出てきて超能力で活躍するという設定だった。  まさに長期連載がなせるワザというしかないキャラ設定だ。普通は4年も連載が続くだろうかという不安が生じるので、ここまで大胆な設定はできない。  オリンピックがくるとこの日暮巡査のことを思い出すのだ。けれども、もう一人、思い出す男がいる。それが豊岡という男だ。  豊岡は中学時代の同級生だ。僕と豊岡、この二人が結託してある悪事を働いたことがある。それが「ヌルリンピック事件」だ。

チャラい英語教師の代わりに来た堅物先生

 中学2年生のときだったと思う。若くてイケメンの、ちょっとチャラい感じの英語教師が僕らの担任になった。ただ、その担任は2か月くらいでいなくなったのだ。聞くところによると、そのチャラさの度が過ぎてしまったのか、生徒に手を出してクビになってしまったのだ。  代わりにやってきた担任は、もうあんなチャラいのはごめんだという思いもあったのか、取り分けて堅物の教師だったような気がする。見るからに真面目そうな感じだし、融通も利かなそうだし、仏教系の大学を出ているようで、説教の中にもバシバシと仏教用語が出てくる、そんな教師だった。  僕も富岡も幼かったんだと思う。新しくなった担任をすぐに受け入れることができなかったし、あの堅物な一面をなんとか崩したいと考えていた。いま思うとしょうもないいたずらの数々をこの担任に仕掛けていたと思う。それでも担任は堅物な一面を崩さず、僕たちの悪事を見つけるごとに仏教用語を駆使して説教していた。  そんなある日、放課後の校舎を富岡と歩いていると、ふと駐車場に停まる軽自動車が目に留まった。  「あれ、担任の車だぜ。降りてくるの見たもん」  「へえ、そうなんだ」  車に悪戯してやろうとかそういった気持ちはなかったと思う。さすがにそれは犯罪だし、やりすぎだし、そういう気持ちはなかったと思う。ただ、好奇心から、あの堅物がどんな車に乗っているんだろうかという気持ちがあっただけだった。僕たちは靴を履き替えて職員駐車場に向かい、担任のものと思われる軽自動車に近づいた。  両手を筒のような形状にして車のガラスにあてると、車内の様子が良く見えた。堅物の担任らしい、よく整頓された車内だ。なんの面白味もない車内だ。ただ、後部座席に面白味があった。  「おい、なんか紙袋があるぞ」  後部座席の中央には茶色の紙袋が横たわっていた。そして、そこから何かの物体がはみ出していた。  「ビデオだ。なにかのビデオだ」  紙袋からは何かのVHSビデオテープが顔をのぞかせていた。  「どうせなんか仏教的なビデオだろ」
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ビデオの正体は皆さんがもうご想像通りのアレ
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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