更新日:2021年09月21日 10:10
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五輪AV「ヌルリンピック」は4年に一度、僕らの心を照らした

ビデオの正体は皆さんがもうご想像通りのアレ

おっさんは二度死ぬ いま思うと仏教的なビデオってのも訳が分からないけれども、僕らはそのビデオが良く見えるよう、ポジショニングを工夫しだした。そして、ついにその正体を知ることになる。  「あー、なんか書いてある。えっと……ヌルリンピックって書いてある!」  エロビデオだ。エロビデオだったのだ。それもヌルリンピックである。ヌルヌル系のややマニアックな部類に入る作品ではなかろうか。  「ヌルリンピックだーー!」  僕たちはとんでもないものを発見したと祭囃子のように囃し立て校舎内を練り歩いた。 「あの堅物がヌルリンピックだぜ!」  すぐにちょっとした騒ぎになり、僕たちは担任に捕まり、説教された。担任は激怒しており、そこに仏教用語はなかった。仏でも怒り狂うレベル、ヌルリンピックはそれだけの威力があるのだと思い知りつつ、ちょっとしたフランス映画の上映時間くらいの期間、職員室前で正座させられた。  「へへ、ヌルリンピックだったな」  長時間の正座で足の痺れと戦いながら富岡は笑った。  「ああ、ヌルリンピックだったな」  僕もまた、指先で鼻の下を擦りながら笑った。職員室前に差し込む光がオレンジ色に変わり、窓の影がひし形へと変わっていった頃、これは友人のものを預かっていただけだと冷静さを取り戻した担任の言葉と共に僕らは解放された。

あれから月日は流れ、4年に一度の祭典とともに僕らは大人になった

 あれから30年近い時が流れた。その間に時代は移り変わり、何度かオリンピックが訪れた。そのオリンピックがくるたび、富岡から連絡がやってきた。時代と共に主流となる連絡手段が変遷していて、キャリアメールだったり、ショートメッセージだったり、LINEだったり、時には便箋だったこともあった。富岡は必ずオリンピックの年に連絡してくるのだ。たぶん日暮巡査を意識していたんだと思う。  「大学では鉄道研究会に入りました。あまり鉄道には興味がないので話が合わなくて困っています」  なんでそんなことになってんだ、興味ないなら入るなよ、と言いたくなる近況報告のあとは必ず「ヌルリンピック」と締めくくられていた。僕も負けじと近況報告を送る。  「僕は夕方4時からの必修の講義をすべて寝坊して単位を落としました。夕方4時なのに寝坊です。ヌルリンピック」  いつしか僕たちはオリンピックの年に近況報告をし、ヌルリンピックというあの日の単語を添えるようになっていた。四年に一度のオリンピック、そして四年に一度のヌルリンピック。きっとあの日に打ちこんだクサビみたいなものだったんだと思う。僕らの思い出にはヌルリンピックがあった。  時に彼の人生が苦しく、苦難に満ちたときだってあったかもしれない。誰しも人生がうまくいっているときは近況報告もできるが、苦しい時はそうではない。ある年のオリンピックでは近況報告はなく「ヌルリンピック」とだけ送られてきた。あの時、彼は苦しかったのだろうか。もしかしかた助けを求めていたのかもしれない。それでも彼はその言葉だけを送ってきた。  その後、富岡の人生は好転したようだった。転職し、結婚し、子供も生まれた。そんな報告が四年に一度の間隔でオリンピックの年に届く。もちろん「ヌルリンピック」と添えられていた。
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だが、リオ五輪の年に異変が起きた
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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