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73歳の江夏豊が語る“刀根山マンション籠城事件”の真相「野村が解任される理由はなかった」

広岡から見た江夏とは?

江夏豊

南海入団初年度となる’76年、野村克也捕手兼監督のリードのもとロッテ打線を抑え、勝利を収めた江夏豊

「’81年の後期はプレーオフでは(当時、日本ハムのリリーフエースだった)江夏をどう攻略するかだけを考えていた。選手たちは『江夏を打ちます』と威勢良く言っていたが、『今から練習してもお前らには打てない』と言ったものだ。当時の江夏は間違いなく球界最高の投手でした」  広岡率いる西武移籍後は調子が上がらず、おまけに吐血などの体調悪化により入院するなどコンディションは最悪の状態だった。 「パリーグの豪快な野球を打ち消したのが、『四番でも右に打ちなさい』という広岡さんの勝つ野球。巨人一辺倒の野球界に風穴を開け、西武の黄金時代をつくったのは凄いこと。でもファンはどういう野球を見たがっているかだよね」  確執が取り沙汰された広岡達朗の野球を認めながらも、ファンが求める野球像に問題点を着地させるところがいかにも常に先を読む江夏らしさといったところか。

自分の人生が決して間違ったとは思っていない

「組織に対して率先して争いを起こしてきたつもりはないけど、じゃあ自分の人生が間違っているのかと問いただすと、決して間違ったとは思っていない。昭和53年に同じチームになった衣笠に過去にあった筋道を話し『お前ならどうする?』と聞くと、『それで良かったんじゃないのか』と言ってくれたことがあった。俺の人生には必ず衣笠という男がアドバイザーにおったから。あいつも同じ」  名誉やカネより男として大切なものがある。それは、信頼する恩師や友であり、彼らを決して裏切らないことだ。「名誉なんて過去のもんだし今は関係ない」。そう言う江夏の顔には、男として満ち足りた誇りと自信そのものが年輪のように刻まれている。これぞ本物の漢を見せられた気がした――。 【江夏豊】 ’48年、奈良県生まれ。豪速球と卓越した制球力を武器に阪神、南海、広島、日ハム、西武で活躍。入団2年目に記録したシーズン401奪三振は今なお破られぬ歴代最高記録。リリーフとしても類い稀な成績を残し、最優秀救援投手6回を記録する 取材・文/松永多佳倫 写真/産経新聞社
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


確執と信念 スジを通した男たち確執と信念 スジを通した男たち

昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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