「井岡一翔のボクシングはつまらない」と気軽に叩く人たちへの違和感
4月23日に5度目の防衛に成功した、WBA世界フライ級チャンピオンの井岡一翔。これで世界戦での通算勝利数が14となり、具志堅用高の記録に並んだ。それなのに現在の井岡は、かつてないほど批判にさらされている。
当日テレビ中継で解説をしていた元世界チャンピオンの長谷川穂積氏やセレス小林氏は、彼の実力を認めたうえであえて苦言を呈した。「一方的な展開になった時ほど、見ている側は倒すボクシングを求める。やっている方はきついが、今後も求められることを意識してほしい」(セレス小林氏のコメント スポーツ報知 4月24日配信)
こうしたプロからの指摘があったからなのか、この後井岡のファイトスタイルや試合内容を揶揄する記事が立て続けに配信された。
『元王者も酷評 井岡一翔は“しょっぱい試合”が止まらない』(日刊ゲンダイDIGITAL 4月26日配信)や、『井岡一翔を「善戦マン」にしてしまったTBSの罪』(ITmedia ビジネスオンライン 4月27日配信)などは、亀田興毅を引き合いに出し、強い相手と闘わないことや、ちょっと打ってはすぐに距離を取るといった具合で、ひたすら安全策でポイントを稼ぐスタイルを痛烈に批判している。
筆者も、こうした見方にはおおむね同意する。井岡一翔の試合はつまらない。これは決して大勢に流されているわけではなく、小学校2年生のころマイク・タイソンやトーマス・ハーンズ、ヒルベルト・ローマンなどのスタイルに衝撃を受けた経験から、一応はそう言っても差し支えないだろうとの判断に基づいている。
しかしそれでも、筆者は井岡一翔に“もっと強い相手とやれ”とか、“倒せるチャンスがあれば距離を詰めて打ち合え”などと言う気にはなれないのだ。これは、ボクシングを純粋なスポーツと呼んでいいものかという逡巡から生じている。
他のスポーツで考えてみたい。たとえば、ゴルフ。TPCスコッツデールの16番ホール。この名物パー3で、果敢にピンを狙わないゴルファーは容赦なくブーイングされる。
サッカーはどうだろう。自陣に引きこもって守りを固める戦術を、“アンチフットボール”と非難する論調は当り前のものとなった。
このように、客を楽しませない姿勢を批判することがプロスポーツのレベルを底上げし、それがファンの審美眼を鍛えてきたと言えるだろう。その健全なサイクルが、繁栄をもたらしてきたのだ。
しかし、ボクシングにおいて、この循環を強いることが果たして正しいと言えるのかどうか。アメリカの女性作家、ジョイス・キャロル・オーツは著書『On Boxing』の中で、ボクシングとその他のスポーツの違いをこう述べている。
<野球、フットボール、バスケ。これらの典型的なアメリカの娯楽は、遊び(筆者註・play)を伴う点で、紛れもなくスポーツなのである。だから“game”と呼ぶわけだ。人はフットボールを“playする”が、ボクシングを“playする”者はいない。>
(『On Boxing』 Joyce Carol Oates HARPER PERENNIAL p.19 筆者訳)
それゆえ、野球やバスケなどのチームスポーツでは大人の男たちが子供っぽい振る舞いを見せる一方で、リング上のボクサーに幼児性を見出すことはできないというわけだ。
勝っても酷評される井岡。たしかにつまらないのだが…
下手すれば死ぬボクサーを、気軽に叩く気になれない

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