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<純烈物語>“酒井イズム”で夢を追い続ける山本康平は戦隊ヒーローの宿命を今も背負う<第111回>

純烈ジャー舞台挨拶

8月26日、新宿バルト9にておこなわれた『スーパー戦闘 純烈ジャー』完成披露舞台あいさつにてMCを務めた山本康平(写真左)。純烈メンバー及び佛田洋監督(右端)とともに登壇できたのは感慨深かっただろう

<第111回>ヒーローの宿命を背負いつつ山本康平は“酒井イズム”で夢を追い続ける

 白川裕二郎同様、2002年に『忍風戦隊ハリケンジャー』で俳優デビューを果たした山本康平は、大学進学を機に故郷の岡山から東京へ出てきた。いわゆるテレビっ子であり、小さい頃はダウンタウンが好きでお笑い番組や吉本新喜劇をよく見た。  気がつけばテレビの中の世界へあこがれるようになっていたが、自分は面白いことを言えないので芸人は無理と思い、トレンディドラマを見るうちに俳優願望が頭をもたげてくる。『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』で描かれる風景は、イコール花の都・東京。  東京へ出るための手段として、俳優を目指したところもある。『里見八犬伝』『僕らの七日間戦争』などの映画を見るうち、その思いはどんどん膨らんでいった。 「野球やその後のサッカーのようにプロがあるスポーツをやっていたらそれを目指していたんでしょうけど、僕がやっていたのはバスケットボールなので、今のようなB.LEAGUEもなかった時代で。それで駒澤大学に合格して東京生活が始まりました。もう、最初の1年間は満喫しましたよね。  地元ならではの人間関係のストレスが東京ではない。あちこちから集まってきた者同士つきあいたい相手とだけつきあえるのが肌に合っていて。それで2年の時にいよいよ役者になるべくオーディションを受けたら、これが一発で受かってしまったんですよ」  山本いわく、運がよかっただけとなる。その年、太田プロダクションは新人発掘のワークショップを始め一発目ということで多めに採用。だから何も下地がない自分でも合格した。

戦隊ヒーローと学生を”兼業”。学生ノリで白川に怒られる

 事務所と仮契約すると、直後に戦隊モノのオーディションがあった。特にヒーロー役をやりたいとの思いはなかったが、早々に訪れたチャンスだ。 「ホント、こういうのがあるから受けてみる? わかりました、というぐらいの感覚ですよ。何もレッスンを受けずにいったんですけど、あとで聞いたらオーディションは人を見るものだと言われて、そこだったのかなあと。これも太田プロに入った時と同じで、運だけで通っちゃった。それで1年の仮契約が本契約になったんです。その3、4ヵ月で一気に人生が変わっちゃいましたよね」  ハリケンジャーの尾藤吼太/ハリケンイエロー役抜てきは、1年間撮影に拘束されることを意味する。山本はまだ在学中……つまり、ヒーローと学生を“兼業”していたのだ。  2年生最後のテストも受けられず、3年時はほとんどハリケンジャーに費やした。4年になったところで単位が足りないことに気づき、半年留年しながらも卒業できたのは「1年時に関係を築いた友人たちのアドバイスとサポート」があったからだった。 「ハリケンジャーが1年時だったら、大学をやめていたでしょう。両立は大変でしたけど、今思うと“学生ヒーロー”は面白かった。でも、ノリが学生だからうるさくてよく裕二郎に怒られたものでした。学生だから『役者とは?』なんて考えたこともなかったし、中途半端といえば中途半端。  ほかの連中はこれをやるんだ!という意識で集まってきたわけだから温度差があったのに、それに気づいてさえいなかったですからね。真面目に取り組んでいる人間からすれば、なんだあいつは?となる。あとになって、そりゃあ怒るよなってわかるんですけど」  何十回とオーディションを落とされながら諦めずにようやく役をつかんだ白川と、キャンパスライフの延長的な感覚で向き合う山本では姿勢に乖離があって当然。俳優としての武器が何一つ備わっていないのだから、こうやればいいという答えさえ見いだせなかった。  それでもスーパー戦隊シリーズはチームである。朝6時半に東映撮影所へいってメイクし、ロケ現場へ移動して夕方までシューティング。戻ってきたらバタンキューで翌朝には……これを1年間ともにする。
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4歳年上の白川は兄と思える存在
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