ワクチン接種の早い遅いに平等を求めたら…コロナ禍で露呈した“平等バカ”という病
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐり大混乱が起きた。同じ高齢者でも具体的に誰から打つのかに頭を無駄に悩ませ、接種態勢を整えるのに時間を要する自治体が続出したからだ。また、かつて東日本大震災の被災地支援で毛布を用意したにもかかわらず、避難所のすべての人に届かないからと配布を取りやめたことがあったそうだ。いずれも平等にこだわるあまり、非合理極まりない事態に陥っていたのである。
社会を見回すと平等に拘泥するあまり非効率なことが起きる事例が蔓延している。恣意的に「平等」を使って国民を騙す行政は大問題だが、国民の側にも「平等が何より大事」という思い込みがあるのではないか。一口に平等と言っても、必ずしも素晴らしい平等ばかりではない——。
そんな「平等」という言葉がもつ二面性について問いかけるのは、早稲田大学と山梨大学の名誉教授を務める池田清彦氏(74歳)。『ホンマでっか!? TV』(フジテレビ系)でもおなじみの生物学者である。
平等バカ 〜原則平等に縛られる日本社会の異常を問う〜』より一部抜粋)
「平等主義」とは一種の「事なかれ主義」であり、世の中にまかり通る安易な平等主義は単なる怠慢だと捉えることもできる。そこにある不平等から目をそらさずに公平を実現させるのは、本来は国や役人の役割だからだ。
ただし、忘れていけないのは、完全なる公平はありえないということだ。
昨日から何も食べてないハンディをりんご半分と見立てるのか、4分の1個分と見立てるかは、りんごを配る側の恣意的な判断である。つまり、どういうバランスを公平とするかに完全な答えはないのだから、多少の幅が生じるのは仕方がないことなのだ。
自分のハンディをりんご半個分だと言われてしまうと、いやいや5分の3くらいの見立てにしてもらわないと公平じゃない、などと不満をもつかもしれないが、こういう場合の公平とはあくまで「公平感」なので、そもそも絶対の正解はない。
そんななかでささいな差にこだわり続けていると、話が前に進まなくなってしまう。ぐすぐすしているうちにりんごが傷んでしまう危険だってあるし、この程度の差であればさっさと受け入れてしまったほうが結果的には得だということはおおいにありうる。
65歳以上の高齢者を対象にしたワクチン接種がスタートしたあとの混乱にしたって、多少は前後することがあっても遅かれ早かれ自分も打てるのだから十分に「公平」だと考えられる人ばかりなら、そう混乱することもなかっただろう。
実際、福島県相馬市では、市内を地区に分けてあらかじめ接種日時を指定したことで、接種が順調に進んだというし、同様のシステムを採用した南相馬市では予定していた高齢者の集団接種の完了日が予定より1週間も早かったという。
接種順は地区代表者のくじ引きで決めたそうだが、報道によると、日時を勝手に決められたことや順番が前後することに対する苦情はほとんどなかったらしい。もしも 「年齢は同じなのに、自分より隣町の人のほうが1週間も早いとはけしからん!」などと文句を言う人ばかりだったらこんなにうまくはいかなかっただろう。
極めて合理的だと思われるシステムを柔軟に受け入れた相馬市や南相馬市の住民たちの懐の深さや賢さにも「相馬モデル」成功の秘訣があったのだ。
(以下、池田氏の近著『
完全な公平を求めるのは非現実的である
ワクチン接種をめぐる大混乱
1947年、東京都生まれ。生物学者。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。生物学分野のほか、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する著書がある。フジテレビ系『ホンマでっか!?TV』などテレビ、新聞、雑誌などでも活躍中。著書に『世間のカラクリ』(新潮文庫)、『自粛バカ リスクゼロ症候群に罹った日本人への処方箋』(宝島社新書)、『したたかでいい加減な生き物たち』(さくら舎)、『騙されない老後 権力に迎合しない不良老人のすすめ』(扶桑社)など多数。Twitter:@IkedaKiyohiko
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『平等バカ 〜原則平等に縛られる日本社会の異常を問う〜』 新型コロナワクチン接種の大混乱、緊急事態宣言下での東京オリンピック強行、拡大し続ける経済格差、公平じゃない消費税、勘違いした多様性――偽りの「公平」から目を背けるな!『ホンマでっか!? TV』でおなじみの生物学者・池田清彦が説く、不平等な現実に向き合う知恵と教養 |
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