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<純烈物語>ついに公開!戦隊映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』はスクリーンの垣根を超えたライブ<第113回>

東映の古きよきコメディー、トラック野郎や寅さん、網走番外地みたいな要素を入れたらどうか

 そうしたプロデューサーとしてのベーシックな姿勢があったから『スーパー戦闘 純烈ジャー』を肉づけしていく中でも周りの意見をよく聞いた。佛田洋監督からは「普通の特撮じゃ面白くないよね。トラック野郎や寅さんのような東映の古きよきコメディー、網走番外地みたいな要素を入れたらどうだろう」と言われた。  戦隊モノを得意とする脚本家だと普通になると、これまで一度も特撮を書いていないが東映作品に詳しい久保裕章氏へ依頼したのも、監督の発想があってのこと。「ヒーローっていうけど、純烈ジャーっていったい何を守るの?」という根本的な存在理由を熟考した結果、温浴施設にいたった。  これまでとは違いゼロから生み出す立場になりながら同じ姿勢でやれて、かつ斬新な発想で一つずつピースをはめ込んでいく行程は、中野氏にとって楽しめる作業だった。純烈ジャーの自由度が高い世界観は、プロデューサーの作品に対する姿勢を下地に成り立っている。 「僕はプロデューサーの言うことを聞けというタイプじゃないので、現場のアイデアが優先です。今回は純烈さんの映画なので、純烈さんが気持ちよく楽しく、純烈さんのアイデアと佛田監督のアイデアが化学反応を起こして面白いものになればいい。設定自体がとんでもないんだから、監督は特にデフォルメすることなくやってくれと、自然体を要求したんだと思います。  劇中歌にしても、純烈の音楽としての新しいテイストが入った。エンドロールで流れる曲も、よく聴くといろんなメッセージがこめられているし、監督がそこに過去の写真を入れたいと言って……皆さんのお力で、想像以上の作品になったと思います」  すでにライブで盛り上がるナンバーとして定着している『NEW(入浴)YORK』も、純烈ジャーがなければできていない。映画の存在が、ムード歌謡グループとしての枠を思い切り飛び越えるきっかけになった。

「ラスボス」としての小林幸子の存在

 何より、小林幸子がキャスティングされたところで全体が整ったという。ラスボスとしてのキャラクターが決まれば、作品全体がそれを要に回っていく。  巨大化した悪の権化を倒すという、わかりやすくもヒーローモノの王道を具現化できれば方向性が定まる。そしてもっとも重要なのは、作品の中で純烈の姿勢がしっかりと描かれていることだ。  9月10日より公開されたので、すでに劇場で体感した方も多いだろう。ストーリーの描き方そのものが、これまで純烈として積み重ねてきたものがベースとなっている。制作サイドがそれを理解していなければ、このような作りとはなるまい。 「そこは酒井君からいくつかありました。柱としては後上(翔太)君がヒーローになるのと、最後に“こういう力”で倒すというのをやりたいと言っていて、それを脚本に落とし込みました。そのアイデアがあったからこそで、オリジナルの脚本をゼロから作るのは難しいから純烈の骨格を提示してもらえたのは僕らとしてもありがたかったです。  康平君や僕も監督も特撮時代の酒井君たちを知っていて、気になって追いかけてはいた。そこがうまい具合に、キャラクターや物語へ落とし込めた。全然知らない仲じゃないから理解力が高かったんだと思います」  純烈ジャーという新たなヒーロー絵巻を器にし、劇場へ足を運んだファンとスクリーンの垣根を越えてつながる。たとえ本人役だとしても、映画であればそこには距離感が生じるものだが、この作品は限りなく近い。  つまりスクリーンの中であっても、スーパー銭湯のような至近距離で純烈を感じられるのだ。おそらく劇場で鑑賞された方はライブと同じ余韻を味わえるはず。 「スクリーンを通してつながっているつもりで僕らも作ったので、そう思っていただけると嬉しいですね。身近で会える歌謡グループ、距離感の近いアーティスト……ライブ自体、僕も何回かいかせていただいて、ファンも一緒にライブを作るということを明確にしていたので、物語の根底にはそういう部分を描きました」
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「ペンライト、振ってほしいですねえ」
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