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<純烈物語>映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』プロデューサーが語る「東映特撮46年の伝統”ジャー”の重み」<第112回>

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特撮研究所の佛田洋監督(左)演技指導のもと、撮影は進められた。純烈ジャーを名乗れたのは、スタッフからして“ちゃんとしていた”ことが大きかった

<第112回>“ジャー”を名乗れるのは異例中の異例。中野剛プロデューサーが語る純烈ジャー秘話

 ご存じのように、映画というものはプロデューサーがGOを出さなければ始まらない。ムード歌謡グループが変身し、温浴施設の平和を守るといった突飛な企画に乗れる人物なくして『純烈ジャー』は世に生み出されていなかった。  映画に関してはほとんど実績のない純烈を主役にするとなると、これは冒険である。だが山本康平が明かしたように、当作品の製作会社である東映ビデオの方から、その名前が出されたのだ。  つまり、その時点で純烈は映画会社から高く評価されていたことになる。何よりも当作品の製作プロデューサーである中野剛氏(東映株式会社映像本部コンテンツ事業部門コンテンツ企画営業部企画開発室)が面白いと思えたのが、決め手となった。

「純烈が映画をやるというだけで面白い」

「僕がそういうことに対してフラットなのかもしれませんけど、昔からクレイジーキャッツやドリフターズのように映画は役者だけがやるわけではないですし、今もお笑いタレントさんが出演することもある。あとは新しいモノ好きというか、純烈が映画をやるというだけで面白いじゃないですか。そこの感覚はプロデューサーによって違うんでしょうけど、僕は単純に面白いと思えました。  面白がれるというか、雑食プロデューサーなんでしょうね。映画だけでなくテレビも配信企画もやっているんで。まずは話を聞いて、面白いというものがあればそのコンテンツが映画なのかドラマなのかは最善の方法を選んで、どんな要素を足せば成立できるかを考えたらあとは突き進むだけというタイプなんです」  お会いした第一印象は、プロデューサーに対する“偉くて固い”世間的イメージとはかけ離れた人だった。子どもの頃は『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』『仮面ライダーBLACK』などを見て育ったというから、酒井一圭と同世代にあたる。  1999年に東映ビデオ株式会社へ入社。2009年よりスーパー戦隊、宇宙刑事、仮面ライダーなどのVシネマでDVD製作に携わる一方、映画プロデューサーとしても数々の作品を世に送り出した。  2016年より配信コンテンツのプロデューサーとして東映株式会社にも所属。そうした中、2013年にVシネマ『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』を担当したことで山本、白川裕二郎、そして「JUN烈」名義で出演した酒井と出逢った。
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純レッドに変身する前の白川裕二郎と純レッドのツーショット

「酒井君とも話して、面白いグループだなと思いました。ヒーローをやったのに歌謡というところで温泉各地を回って頑張っているところだったり、酒井君のキャラクターだったり。映像特典で純烈さんのスーパー銭湯ライブを入れるので見させていただいて、あれほどお客様にサービスして、歌も踊りもありでエンターテインメントしているグループだというのを知って、その時に応援したい気持ちが芽生えたんです。  あとは康平君の話にも出た『忍び道』という番組で純烈さんを追っかけて、ラクーアでのイベントにカメラを入れさせてもらった時も現場に足を運んで『紅白にいくぞ!』『僕らも応援します!』という形で撮らせていただいて。その結果、紅白初出場を決めて、いろいろありながらグループとして乗っている、勢いがあるところが3年経って伸びてきたので、純烈さんとお仕事したいというのは社内でも話していたんです」
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「純烈ジャー」というまったく新しいヒーローを東映ビデオから生み出せる
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