ライフ

部活を見に来た親が「下手くそ!」…毒親の間違った愛情がのちのDV夫を作った

0I9A7270ISUMI_TP_V

気づいたら、親とまったく同じ人間になってしまっていた……正しい愛の形を知り得なかった男性の苦悩

愛すること自体が加害になってしまう人たち

 DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。  僕自身もDV・モラハラ加害者です。そのせいでたくさんの人を傷つけ、仕事や家庭が破綻寸前になり、ようやく自身の加害行為、それを生み出す加害的な思考・価値観を自覚しました。現在は日々自分の言動を改善しながら、妻と関係を再構築させてもらっています。  この連載では、僕自身の経験や当事者会での気づきを共有していきます。職場や家庭でモラハラに苦しんでいる方々、無自覚に加害を行っている方々の参考になれば幸いです。  一体、なぜ無自覚な加害者が生まれるのでしょうか。僕は、妻をたくさん傷つけておきながら、いつも「僕は彼女を愛している、大切にしている」と心から思っていました。  つまり、加害者は愛しているつもりなのに、その愛するという行為の実際が「加害」ということが少なくないのです。その理由は簡単です。自分もまた、愛と加害の区別がつかない形で育てられてきたからです。 最近「親ガチャ」という言葉が話題ですが、その意味内容は大きく2つの側面があると思います。1つは「生活の安全」、もう1つが「人格の尊重」のレベルです。 前者はわかりやすいですね。ネグレクトや虐待を受けていないか、食事や教育を受けることができる家庭であったかどうかといった、外から見てわかりやすい側面です。 しかし、その影に隠れて気づかれにくいのが「人格の尊重」のレベルです。どんなに家がお金持ちで、さまざまな経験を積極的に与えていたとしても、人格を尊重しない親はたくさんいます。 例えば「子供が大学にいきたいなら応援する」ではなく「大学に行かないなんて恥ずかしい、人からどう言われるかわからない」「自分が子供の頃は大学に行きたくてもいけなかった。だからあなたには行って欲しい」といった動機に基づく大学進学の後押しは、人格を尊重しているとは言えません。  それらは「親のニーズに基づく支配」であり、このようなことをする親を持ってしまうことは、「人格の尊重」のレベルにおいては、親ガチャのハズレだと言って良いでしょう。

辞めさせてもらえなかった部活

 僕の母は一見、愛情に満ちた人です。実際に、愛情には満ちているのかもしれません。しかし、愛するということの意味については、支配や加害と区別がついていなかったと今では思います。  小学生の頃、僕はあるスポーツをしていました。僕はそのスポーツが嫌いでした。特に、試合を見にきては「下手くそ!!」「もっと走れ!!」「馬鹿やろー! シュート外すなよ!!」と親から怒号を飛ばされるのが本当に嫌でした。今でも忘れることのできない、思い出すたびに胸がざわつく記憶です。  兄弟全員が同じスポーツをしていて、僕が一番下手でした。僕は本が好きで、児童館に行っても本を読んでばかりいるような子どもでしたから、スポーツが好きではありませんでした。  いや、もしかしたらそうやって「下手くそかどうか」で判断されたり、いまいちな試合だったら自分以上に親ががっかりして、帰りの車の空気が息苦しかったことの方が、スポーツを好きじゃなくなった理由かもしれません。  いつも「もう辞めたい」と言うのですが、母は「嫌なことでもやり遂げることに意味がある」「中途半端にやめたことを後で絶対に後悔する」「あなたのためを思っている」と言い、僕の気持ちはいつも無視されていました。  母は常々「自分は何かを根気強くできないタイプだから」と言っていたので、きっとコンプレックスがあったのでしょう。何かに熱心に取り組むことを良いことだと思い、それがない自分を嫌いだったのかもしれません。そして、子どもにそれを求めたのかもしれません。  そして、僕はそういったことを愛することだと、愛しているならば、相手のためを思っているならば、相手が嫌なことでも押し付けて良いのだ、と学んだように思います。
次のページ
親とまったく同じ振る舞いを妻に行なった僕
1
2
Cxenseレコメンドウィジェット
おすすめ記事