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中3同級生殺人から考える、「学校」という閉鎖空間への絶望

11月24日朝、愛知県弥富市の中学校で中学3年の男子生徒が同級生に腹部を包丁で刺され、病院に運ばれたが、出血性ショックで2時間半後に死亡した。殺人未遂容疑で現行犯逮捕された男子生徒は、「いじめられていた」という趣旨の発言をしているという
鈴木涼美

写真はイメージです

学校的日常は生き抜けるか

 2001年に米国で公開された映画『BULLY』は、実際にあった少年少女による「いじめっ子」 殺人事件を題材にしている。はたから見れば仲良しの幼なじみ、実際には暴力的で支配的な少年と、彼の暴力に虐げられてきた周囲とが描かれ、やがてそれはいじめられた側による計画的な殺人事件に発展していく。  いじめによって心が殺されかけた者たちと、最後に肉体的に殺された者とがいたら、当然殺人にまで手を染めたほうを断罪せざるを得ないし、実際に首謀者には死刑という重い判決が下された(後に減刑)。ただし、過程を見てしまえば、一定のやるせなさを感じる事件ではある。  愛知県の中学校で、3年生の男子生徒が包丁で腹部を刺され、死亡する事件があった。逮捕された同学年の生徒は犯行を認めているものの、詳しい動機などはいまだ取り調べの最中だ。  一部では「嫌な思いをした」と、いじめがあったことを示唆する供述が報道されているが、「嫌な思いをした」ことが殺人の強い動機にまで発展するには大きな飛躍があるはずで、その飛躍を説明するものが、今後供述から明らかになるのか、周辺取材で推察されていくのか、あるいは闇の中にとどまるのかはわからない。  でもおそらく全てが教師のせいでも、全てが生徒同士のトラブルのせいでも、全てが親のせいでもないのではないか、と個人的には思う。  中高生による殺傷事件や暴力事件は近年顕著に増加したわけではなく、いつの時代にも存在したし、顕在化していなかった事件を思えば統計上の増減もそう信頼度が高いものでもないだろう。それでも、学校という場所への絶望や閉塞感がより強くなっている、という感覚はある。  スタンフォード大の心理学者フィリップ・ジンバルドーらが著した『男子劣化社会』には、「少年たちが学校から脱落しているのではない。学校制度が少年たちを脱落させているのだ」という記述があり、その根拠として成績偏重な傾向、仕事に忙しい親の無関心や逆に親の過度な期待、休み時間の減少などを挙げるが、それらの一部はより極端な形で日本の学校にも当てはまる。  教育政策の難しいのは、結果を検証するまで実に時間がかかることとはいえ、成績順位や体育の競走結果の発表を控えるなど、近年注目されてきた政策が著しい成果に結びついているかと問われれば多くの人が疑問を持つのではないか。  今回の事件のあった学校では全校集会で校長による「この中学校は一つの家族のようなものだと思っている」という言葉があったという。教育行政や現場の教員たちに責任をなすりつけるのはアンフェアだが、かつて社会学者の宮台真司らが指摘した「最大の敵は、年長世代の『学校の思い出』である」という言葉を想起すると、校長の言葉に危うさを感じるのも事実だ。  何より平等に重きを置いた日本の学校制度の抜本的な見直しを期待すると同時に、取り急ぎ、学校自体をあまりに苦痛なら行かなくてもいい場所とする意識改革と、学校以外の身の寄せ場所の整備が、学力より平等より制度より、命を守るためには必要な気がする。 ※週刊SPA!11月30日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

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