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「俺の脊髄をなんだと思ってるんだ」人は痛みを経て、一つずつ賢くなっていく

行政にクレームの電話をするも、名前がわからず

 かなり加速して通過しているので、いやー隙間にはまっちゃったー、で済むはずがない。前輪がはまることで突如として速度が0になる。つまりジャックナイフ状態になってしまい、そのまま自転車ごと前転するように転んでしまった。打ち所が悪ければ脊髄とかやっていてもおかしくない危険な転び方だった。小学生たちもこういうわかりやすい笑いが好きそうなので、ケタケタと笑いそうなものなのだけど、笑うどころではない危険な転び方と察したらしく、ちょっとひいていた。ちょっと大人びた感じで「救急車を呼びましょうか」と言わせてしまうくらい危険な転び方だった。  なんとか奇跡的に脊髄の損傷もなく擦りむいた程度のケガで済んだのだけど、心の中に湧き出る怒りが制御できないところまできていた。こんな危険な状態を放置しているのは行政の怠慢である。住民を殺す気か。そんな怒りがメラメラと燃え上がってきたのだ。  こうなったら市役所に苦情の電話だ。どれだけ危険か、どれだけ死にかけたか、俺の脊髄をなんだと思っているんだ、そんなことを延々と語ってやる。どれだけの怒りだったかもう計り知れない。  しかし、そこで思ったのだ。 「あそこの交差点の側溝の格子状の蓋、金属製の銀色のやつ。あれの隙間にスポーティーな自転車のタイヤが挟まって転んだ。どうなってるんだ!」

正式名称を教えられ、逆に怒りが収まってしまった

 これでは苦情の電話としてちょっと締まらない。「側溝の格子状の蓋、金属製の銀色のやつ」の部分が冗長だからだ。ちゃんとした正式名称でビシッと言わなければ怒りが伝わらないし、ちょっと間抜けだ。っていうか、あれの正式名称ってなんていうんだっけ。そういえば人生においてあれの正式名称を考えたことがない。意識したこともない。  こうしてなんとか調べ上げて、冒頭のグレーチングに辿り着いたのだ。へえ、これってグレーチングっていうんだ、というところで満足して怒りが消え失せてしまい、結局、行政への苦情の電話はトーンダウン、グレーチングがずれていてとても危険場所がありますと穏やかに伝えるに留まった。  それよりも興味の中心は別の場所にあった。あそこで隙間に挟まって転ばない限り、僕はずっとグレーチングという名称の存在を知らなかったのだ。グレーチング自体はそこかしこにあり、見ない日はないというくらい目にするのに名称を知ろうとはしなかった。転ぶことによってはじめて自分ごとになる、そうならないと知ろうとは思わないのだ。  人生のあらゆることは、自分の身に降りかかってきて初めて知ろうとする。思えば、あの時もそうだった。
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行きつけのパチンコ店の掲示板で起きていた出来事
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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