更新日:2022年02月07日 14:48
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生島ヒロシ、局アナ出身者がタレント140人の一大芸能プロを築けたワケ

アメリカで学んだ自己PR術

 もっとも、この言動は成功を収めるためのカギの1つに違いない。日本人の多くは自己PRが下手。けれど黙っていては自分の良さが相手に伝わらない。アメリカ暮らしを経験した生島さんだから自然に自己PRが出来たのだろう。花形企業を30代で辞めてしまったのも日本人的ではない。 「退社は38歳の時でした。収入のこととかは一切考えず、『とにかく独立するなら40歳前じゃないとダメだ』と思っていました」  アナがフリーになるのは昔も今も珍しくないが、同時に芸能プロも立ち上げた。これは極めて異例のことだった。 「最初は自分1人しかいなかったんですよ。けれど徐々に『一緒にやらせてほしい』と言ってくれる人が増えて。今はすごい人数になってしまいました。最初から大きな芸能プロにしようと思っていた訳じゃないんですけどね」  頼られると、張り切る性分なのだそうだ。兄貴肌なのだろう。 「池畑慎之介さんとかは自分からウチに来てくれたのですが、それは僕を頼ってくれたという訳でして。すると頑張りたくなるんです。『出来る限りのことをしなくちゃ』って思います」  事実、生島さんはCEOの座にあぐらをかかず、自らテレビ局、出版社、新聞社などに連絡し、所属者の長所などのPRに余念がない。トップが自ら動くことも成功のカギの1つに違いない。 「CMなどのスポンサー獲得を自分でやることもあります。パシッと決まると、気持ちが良いんですよ。現場が好きというより、エンタメの世界が好きなんです」

いつも謙虚であれという教え

 一方でTBS時代の師匠の1人である大沢悠里さんの教えを常に忘れないそうだ。 「いつも謙虚であれと教えられました。『謙虚、謙虚、謙虚鳥でいろ!』って」  ところで、浅野温子、芳村真理はどうして所属したのか。 「温子さんの場合、彼女のスケジュール管理などをしていた大きなイベント会社がウチと関係が良く、その縁でした。芳村さんとは僕がTBSにいたころからお付き合いがあった。みんなご縁です」  縁があろうが、信頼されていないと、所属しない。「出来る限りのことをしなくちゃ」という姿勢が、頼られる理由にほかならないだろう。  一方、優木まおみは一から育て上げた。 「彼女の場合、ウチのスタッフの努力。週刊誌のグラビア担当の編集者さんがうまいキャッチフレーズを付けてくれたのも大きかった」  それは「エロ賢い」。東京学芸大出身の才媛である一方、セクシ―だったことから付けられた。このキャッチフレーズに難色を示す芸能プロもあるに違いないが、生島さんたちはゴーサインを出した。 「まおみ自身が柔軟なんですよ。臨機応変です」  優木にとどまらない。朝比奈彩(28)、武藤十夢(27)、志田音々(21)、真理子フロレンティーナ(17)ら後に続く人材も続々と出てきている。  一方で生島さんの後輩に当たるアナも多数所属。元読売テレビの増井なぎささん(30)、元NHK宮崎放送局の宮崎香子さん(33)、元札幌テレビの小出朗さん(35)たちだ。 「総合的な芸能プロにするつもりなんて、全くなかったんですれけどね」
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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