更新日:2022年02月07日 14:48
エンタメ

生島ヒロシ、局アナ出身者がタレント140人の一大芸能プロを築けたワケ

アナウンサー生活46年目

生島ヒロシ

キャリア46年目のアナである一方、約130人を擁する芸能プロの代表である生島ヒロシさん

 TBS出身でフリーの生島ヒロシさん(71)が、アナウンサー生活46年目を迎えた。  サラリーマンなら、とっくに定年だが、生島さんは違う。平日午前5時からの『生島ヒロシのおはよう定食』(TBSラジオ)と同5時30分からの『生島ヒロシのおはよう一直線』(同)でMCを務めるなどバリバリの現役だ。  一方でTBSを退社した1989年に興した芸能プロダクション「生島企画室」の最高経営責任者(CEO)としても活躍している。  同社に所属しているのは女優の浅野温子(60)、俳優の池畑慎之介(69)、ベテラン司会者の芳村真理(86)、タレントの優木まおみ(41)、元フジテレビアナの寺田理恵子さん(60)ら約130人。芸能界の一大勢力と化している。  局アナ出身者が芸能プロを興し、ここまで成功した例はない。何が奏功したのか? 生島さんに自らの軌跡と成功の秘訣を聞いた。

面接の時から中途退職をほのめかす

「まず法政大に在学していた20歳の時、空手の師匠から『アメリカに空手を教えに行かないか』と声を掛けられ、渡米したんです。アメリカでは空手を教えただけでなく、アルバイトをしながら大学に通いました」  短大を経て入学した大学は名門・カリフォルニア州立大ロングビーチ校。ジャーナリズムを専攻した。バイト先は日本語放送局。そこで司会者やDJを経験したことから、アナの仕事に関心を深めていく。  アメリカで4年間暮らし、同大を卒業すると、TBSアナの採用試験を受け、合格した。同局が「民放の雄」と呼ばれていた時代で、アナウンス部も黄金期だったことから、競争率は数百倍だった。  先輩には桝井論平さん(82)、大沢悠里さん(80)、久米宏さん(77)、故・林美雄さん、故・小島一慶さんらがいた。 「出来ればテレビとラジオのどちらもある局でやらせていただきたかったので、受かってラッキ―でした」  面接の際、自分の将来の中途退職をほのめかしたという。 「『TBSの生島で終わりたくない』と言ったんです。今になって考えると、ズレていましたね(笑)。それでも採って下さったんですから、当時の経営陣の方々は寛大でした。面接では『僕を採らないと損をしますよ』とも口にしました。お恥ずかしい(笑)」
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アメリカで学んだ自己PR術
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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