表向きは話を聞く姿勢をとっていても、相手のニーズを尊重しない行為は全て加害
というわけで、変わろうと願う加害者がパートナーのニーズをわかろうとする時にやってしまう加害の一つが、前出のような会話になります。
いくつかの問題がありますが、ここでは1つだけ取り上げようと思います。それは気づけば
会話の目的が「自分が納得すること」に変わってしまっている点です。
今回で言うと「子どもが泣いている時に男なんだから泣くなとか言わないでほしい」については理解ができていました。
しかし、そこから
「男らしさとは…」「その子らしくとは……」などと別のケースに一般化をしようとして、よりいつでも用いることのできる理論のようなものを立ち上げようとしすぎるがために、理解を複雑にしてしまっています。
繰り返しますが、
パートナーのニーズは「子どもが泣いている時に、男なんだから泣くなとか言わないでほしい」です。
それ以外のことは、今後問題になることがあるかもしれませんが、ひとまず置いておいて良いことです。具体的なシチュエーションになったときに、具体的に悩めば良いからです。
「事前に言ってもらわないとわからない」は屁理屈である
ここで重要なのは「理論から考えて、事前にどういうケースでどう振舞うべきか」という考え方(演繹的な思考)は、ニーズという概念と相性が悪いと言うことです。
ニーズは抽象的に存在する概念ではなく、常に生身の人間が特定の状況と紐づく形で持つものだからです。
これを間違えると「事前に言ってもらえないとわからない」「また色々言われるのも嫌だから演繹的に利用可能なニーズを説明できないお前が悪い」となります。
違います。ニーズとは具体的な状況の中にしかありません。それを勝手に一般化可能なものに「置き直させている」のは自分です。
「一般化されたルールにならないと納得できない」ことは「子どもが泣いている時に男なんだから泣くなとか言わない」ことと関係ありません。
納得できなくとも、相手のニーズを尊重することはできるはずです。
相手を理解したいと思う時、抽象的なルールや原理として理解しようとする時、それは生身の人間や現実の特定の状況から離れた理解となり、大切にしたいはずの相手を置き去りにしてしまうのです。
そしてそれこそが、相手のニーズを尊重しないこと、つまりGADHAの考えで言うと加害に相当するのです。
<被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント>
もしもあなたのパートナーが「わかるように話せ」とあなたが相談したり、依頼していることについて言ってくる場合は、注意が必要です。
コミュニケーションにおいては「わかりやすく伝えようとする責任」と同じように
「わかろうとして聞く責任」があります。その上で
「わからないなりに、尊重すること」はできます。
「どうしてこれが大事なのかわからないけど、この人が大事に思っているから大事にしよう」とあなたはしているのに、相手はしてくれていないと感じたら、そこには加害と被害の関係があるかもしれません。
<加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント>
もしもあなたが「わかるように話せ」「納得できない」と言うことが多く、かつ自分は頭が良くてわかりやすく説明しており、相手が何か言ってきても論破することができるため、相手は正しいことを言っている自分に従うべきだと思っている場合、相手を加害している可能性があります。
自分は道理に則っているだけなのに、なぜ相手が「傷ついた」と言ってくるのかわからないというあなた。自分が正しいはずなのに「なぜか」付き合っている人から別れを切り出されることが多かったり、怖い・冷たい・残酷だと言われたり、一緒にいられないと言われたりするあなた。
変わりたいと願うなら、あなたは変わることができます。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「
GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:
えいなか