「プーチンよ、嘘をつくな!」ロシア軍が住民虐殺を行った街・ブチャで見た遺族の涙
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ロシア軍による侵攻を受けているウクライナへフリージャーナリストの志葉玲氏が入り、現地で取材中だ。国際社会に衝撃を与えた、ロシア軍による住民虐殺が行われた街・ブチャから志葉氏が報告する。
住宅地のそばの林の中に分け入ると、緑色のシートが何枚か地面にかけられており、そこからは、長靴を履いた足が突き出されていた。悲痛な面持ちで傍らに立つ男性が、絞り出すような声で言う。「私の父です」――。筆者は、ウクライナ首都キーウ(キエフ)から、北西に20km程度の距離にあるブチャを取材していた。
人口3万7000人程の小さな都市の名が世界に知れ渡ったのは、今月初めにロシア軍が撤退した後、多数の住民の死体が発見され、虐殺が行われていたことが明らかとなったからだ。
ブチャへ向かう道中、破壊されたロシア軍の戦車が何台も置き捨てられていた。周囲にはロシア軍兵士の軍服と見られる布の切れ端が散乱している。黒焦げの内部には真っ黒な塊があり、同道したウクライナ人ジャーナリストは「ロシア兵の死体だろう」と言う。
ブチャの中心部にある教会の敷地は、殺された人々の遺体が埋められている。筆者が取材を行った4月11日には、ウクライナ警察が敷地を掘り返して遺体の検死を行っていた。掘り起こされた大穴から出すためにクレーンで吊り上げられた遺体と、その背景に教会が。悲しく、恐ろしい光景だ。
急造の墓の前に、犠牲者の親族がいた。匿名を条件に取材に応じてくれた年配の男性は「私の母親が殺されました」と言う。
「戦争が始まった時、私は母に『避難して』と頼みました。でも、母親は家から離れることを嫌がった。ブチャにロシア軍が来て、街中で銃撃や砲撃が行われるようになり、私は心配でたまらず、母の家に駆けつけました。母は、自宅で倒れていました。ロシア軍の狙撃兵に殺されたのです。母は戦争前に、86歳の誕生日を祝ったばかりでした」
男性は自身もロシア軍の狙撃兵に何度も殺されそうになったという。
「ロシア軍がブチャに来た3月上旬、市内の電気や水、ガスが止まりました。私は家族や隣人たちのために水を探してまわっていたのですが、何度も狙撃兵が撃ってきました。あと数cmずれていたら、当たっていたのではないかということもありました」
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ブチャに入ったロシア軍が、多くの民間人を殺戮
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