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日本のメディアは何に恐れ、萎縮しているのか?<著述家・菅野完氏>

クレームを恐れるメディア

 なんのことはない。この集会の主催者である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」なる団体の実態は、その事務局長を椛島有三・日本会議事務局長/日本青年協議会会長がつとめていることからもわかるように、日本会議そのものである。櫻井よしこや田久保忠衛などの〝著名人〟を看板に使うのは、椛島有三氏が、新興宗教「生長の家」の学生運動に邁進していた40年前からの常套手段にすぎない。だとすると本来新聞が書くべきことは、総理や国政政党の代表がメッセージを寄せるこの集会の実態は、「生長の家学生運動」を母体とする奇妙奇天烈な連中の集会であるということそのものではないか。  本件に関わらず、最近、メディアが「行為の主体者の名前を伏せる」事例が増えてきた。宗教団体がらみ・異常集団がらみの事例だとその傾向はさらに顕著になる。  前回記事でもとりあげた「神真都Q」に関しても、メディアが「神真都Q」の犯す数々の犯罪行為を「神真都Q」と団体名を名指しして書くようになったのは、逮捕者が発生した4月になってからのこと。逮捕者が出る前は、度重なる犯罪行為や暴力行為について報道しても、団体名は伏せるという奇妙な書き振りに徹していた。  集英社のWEBメディアに連載されていた漫画が新興宗教団体・幸福の科学からの抗議で連載を中止されるという事案が発生したが、この件に関するも報道も、なぜかどの社の記事も「幸福の科学」を名指しして書くことを避けている。  一般的な社会的問題に関する報道でもこの傾向は見てとれ、本年2月「ベトナム人留学生に、『遅刻・欠席でも罰金三百万』を要求する契約を結ばせていた」という大問題をスクープした河北新報も、なぜか当該日本語学校の名前を記事に明記していない。  なぜここまで「行為者の名前を明記しない」という書き振りが増えたのか。大手紙社会部記者がこう語る。  「とにかく〝上〟がいやがるんです。名誉毀損訴訟を起こされるとかいうレベルじゃないんです。抗議の内容証明はおろか、社の『お客さま相談窓口』にクレームの電話が入ることでさえ、〝上〟は戦々恐々としている。政府からの圧力とかそんな上等な話じゃない。要は管理職が〝クレームそのものが怖い〟と萎縮し、書くに書けない状態になってるんです」  テレビの状況はさらに深刻だという。  「報道番組であれ情報番組であれ、〝上〟が原稿に求めるのは〝ノーミス〟ではなく〝ノークレーム〟。うちの局の報道でも最近、いわゆる〝誤報〟があったが、誤報は〝結果論だからしゃーないよね〟と庇われ、視聴者やスポンサーからのクレームの方が問題視されちゃうおかしな風潮がある」(キー局報道記者)  管理職などの〝上〟が恐れているものが、当局からの圧力や裁判沙汰で〝すらない〟ことにこそ、注目が必要だろう。単に〝問題が起こること〟を避けているに過ぎない。大禍なくサラリーマン人生を全うすることにこそ主眼が置かれており、報道やメディアとしての責任は忘却されてしまっている。  メディアがこの有様であれば、筆を曲げさせることも書かせないことも実に容易だ。治安維持法や新聞紙法などの法律もいらない。単に、特定の特殊な意思を持った集団が組織的に「お客さまセンター」に電話をすれば済む。いやそうすることさえも必要ないかもしれない。「あの集団なら、そうしかねない」と思わせれば、目的が達成できる可能性は十分にある。  もはや日本のメディアは戦中の新聞よりも萎縮してしまっている。しかも現代のメディアは官憲の弾圧や暴力集団の実力行為にではなく、匿名の有象無象によるクレームに怯えているのだから、その体たらくぶりは戦前の新聞より酷いというべきだろう。かくて、メディアが〝書けること・書くべきことを書く〟よりも、〝書いてはいけないことをいかにして書かないか〟に神経を使う時代が再びやってきてしまった。  そうした時代の末路がどのようなものになるか、我々は77年前に、いやというほど思い知らされたはずだ。 <文/菅野完 初出:月刊日本6月号>)
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月刊日本2022年6月号

【特集1】連合よ! どこへ行く
【特集2】ロシア、その知られざる実像
【沖縄復帰50年】

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