更新日:2023年01月24日 19:47
スポーツ

門田博光が今明かす二度のコーチ就任要請「僕が人に教えるのは難しいんとちゃうか」

 門田博光、田尾安志、広岡達朗、谷沢健一、江夏豊……昭和のプロ野球で活躍したレジェンドたちの“生き様”にフォーカスを当てた書籍『確執と信念 スジを通した男たち』。 門田博光 大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは? “孤高の鬼才”と呼ばれた男、門田博光の光と陰に迫る(以下、同書より一部編集の上抜粋)。 【前回記事を読む】⇒門田博光・74歳は今も闘い続けている。稀代の豪打者を襲う“病魔と孤独”

指導者としての道

門田博光

73歳(取材当時)の門田博光

 本塁打数、打点数ともに歴代3位の記録を持ち、43歳まで現役を続けた門田博光。球史に残る偉大な選手が、監督、コーチの依頼がひとつも来なかったと噂されているが本当なのか。その真偽を確かめたく質問すると、何度目かのふーっと軽い息を吐いて間を整えた。 「まあ、あまり言うてないことやけど……、二回話があった」  心の深奥にしまっていた錆び付いた蓋を何十年かぶりにこじ開けたかのように、門田は観念した顔付きに変わっていった。 「ダイエーに行ったときに、オーナーの中内(㓛)さんからえらく気に入られていてね。指導者になってほしかったらしい。中内さんがヨーロッパに行っているときにハガキをくれた。『ヨーロッパは雨が降ってないが、私の心は雨が降っている』と直筆で記されていた。僕が辞めるのを旅行中にちょうど聞いたんでしょうね。打たなくてもいいからベンチにいてほしかったようです。結局、話し合いもせずに関西に帰ってしまった。これがまず一回目の指導者への期待を蹴った話で……」  やっぱり指導者の話があったんだとわかり、なぜか安堵した。これだけの実績と理論を確立する門田に指導者の話が来ないわけないと思っていただけに、妙に嬉しかった。プロ野球界ほど、監督、コーチになる人間は限られてくる。ただ漫然とふんぞり返って待っているだけではオファーは来ないため、球団で幅を利かせている派閥の領袖に取り入るなど水面下でリクルート活動をしている輩も多い。  とにかく、非公式とはいえ門田に指導者の誘いがあった。当時〝流通の神様〟と呼ばれた中内㓛の直接の頼みとならば、いかに門田とて無下に断るわけにはいかない。話し合いを設けられる前に関西へと戻ることで門田なりに意思を示したのだろう。
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二度目の打診は……
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


確執と信念 スジを通した男たち確執と信念 スジを通した男たち

昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊


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