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『ヒロアカ』主題歌の秋山黄色、傷害の疑いで逮捕。音楽にも透けて見える“薄さ”

作品と人格は切り離して考えるべきか?

 アーティストが不祥事を起こすと、作品と人格は切り離して考えるべきかという問題が浮上します。最近の例でいえば、カニエ・ウェストですね。反ユダヤ主義や人種差別的発言を繰り返した挙げ句、コラボしていたファッションブランドとは契約を打ち切られ、多くの同業者からもそっぽを向かれてしまいました。  そんな中、“芸術家としてのカニエ”の価値は認め続けると公言したのが、オーストラリアのシンガーソングライター、ニック・ケイヴでした。当然カニエの発言には同意しかねると前置きをしたうえで、「自分の人格の最悪な面に永遠にとらわれたままではないだろう。作品と人格は別物だ」(AFPBB News 2022年10月28日)と持論を述べました。

露呈した“薄さ”

 では、この論法で秋山黄色もフォローできるのかどうか。それはなかなか難しいものがあります。好きな音楽をすぐに取り入れてしまう気軽さと、酒に飲まれて嫉妬から女性に手を上げる癇癪も、同じ“薄さ”で通じているように思えるからです。  そう考えると、今回の一件でアーティスト、秋山黄色の評価が定まったと言えるのではないでしょうか。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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