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世間では無用と思われるものだって、人の心を打つことがある

おっさんは二度死ぬ 2ndシーズン

クリスマスと白菜

 田舎のパチンコ屋、その入口にパネルが設置されることがある。「新台入替」だとか「絶好調エヴァコーナーはこちら」だとか、それは客を煽る目的のパネルであることが多い。  これがクリスマス近くになると、少しクリスマスを意識したカラーリングになり、ツリーっぽいイラストまで入ってくる。下手したらサンタのイラストまで描いてある。ただ、どんなにクリスマスっぽく仕立てようとも、煽る内容は「絶好調エヴァコーナーはこちら」なので、暴走するエヴァ初号機とクリスマスツリーという意味不明なパネルが出来上がってしまうのだ。  そんな理解不能なパネル群において、最高峰に意味不明なパネルが登場することがある。ちょうどそのパネルもある年のクリスマスが近づいた時に設置された。クリスマスツリーが飾られ始めた店内に「絶好調エヴァコーナーはこちら」というパネルに混じってそのパネルは登場した。 「白菜、入荷しました」  八百屋かなと思う文言に、ドデーンと瑞々しい白菜の写真だ。このホールはどういう仕入れを行っているか知らないけど、新鮮野菜をその景品として提供することがあった。エヴァで出た出玉をそのまま白菜に交換できるシステムだ。こういった物品に交換するスタイルがパチンコの本来の姿だ。昔のアニメなどにはパチンコ帰りのお父さんが紙袋にどっさりと景品を持っている描写があるだろう。あれだ。  その景品に白菜が入荷したというパネル。たしかに入荷を告げる重要な情報かもしれないけど、これがどうにも理解できない。なぜなら「お、白菜入荷したか、ちょっと打っていくか」とならないからだ。  これがエヴァだった場合「お、エヴァを推してんのか、打っていくか」となるのでパネルを設置する意味がある。けれども「白菜入荷」はパネルにまでする意味がほとんどないのだ。  当たり前と言えば当たり前だけど、パチンコ屋を訪れる客はパチンコを打ちに来ている。スロットを打ちに来ている。決して白菜を買いに来ていない。きちんと顧客のニーズに合わせてパネルを出すべきだ。習ったことはないけどマーケティングとか習ったらたぶん最初の方に出てくるはずだ。

白菜がエモさのトリガーになってしまっていた虎さんの思い出話

 当然のごとく、その白菜のパネルはパチンコ客に無視され続けた。誰の琴線に触れることもなく、ただただ、白菜が入荷した情報だけを発信していた。いや、一人だけいた。バリバリに心の琴線に触れまくって、琴線が音を奏でまくっている男がいたのだ。 「おれ、白菜を見ると思い出すんだよ」  そのおっさんは皆から虎さんと呼ばれていた。いつも虎が猛り狂っているセーターかジャンパーを着ているからだ。  虎さんは白菜の入荷を告げるパネルの前で涙ぐんでいた。 「どうしたんですか、虎さん」  いつもは一目散にエヴァコーナーに行く虎さんだったが、誰もが無視するパネルの前で涙ぐむという異常事態に声をかけずにはいられなかった。 「白菜だけだったらなんともないんだけどな、なんていうか、店内のクリスマスの雰囲気と白菜が合わさるとダメだ」  虎さんは目を真っ赤にしていた。確かに、色々な世界を見渡してみてもクリスマスと白菜が交わることは少ないかもしれない。偶然にもそれが実現してしまい、もしかしたら白菜クリスマスは世界でもここだけの事象かもしれない。それに影響を受けて虎さんは涙腺崩壊してしまったのだ。 「あれはまだクリスマスが子どもの物だった時代の話だ」  虎さんはゆっくりと話し出した。
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クリスマス禁止だった虎さんの実家
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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