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世間では無用と思われるものだって、人の心を打つことがある

クリスマス禁止だった虎さんの実家

 いまでこそ、やれ恋人たちのクリスマスだとか、きっと君は来ないだとか、クリスマスは恋する男女の行事になり果てたが、我々が子どもだった時代、クリスマスは家族のものだった。子どもたちに向けた行事だったのだ。  子どもたちはサンタの到来を待ちわび、今年こそはサンタの正体を見届けてやると夜更かしをするが寝てしまい、起きると枕元にプレゼントがある。それだけの行事だった。クリスマスデートも、クリスマスディナーも存在しなかった。きっと君は来ないも存在しなかった。  家族だけに向けた行事であった当時のクリスマスだったが、虎さんの家庭には別の意味でクリスマスが存在しなかった。虎さんの父親は横文字を見ると激怒するという習性を持っていたのだ。クリスマスなんて言おうものなら激怒した父親によって鬼の折檻を受ける、そんな家庭だった。 「どうもあれは嘘なんだよ、うちは貧しかったからな」  冷静に考えると横文字を見るだけで発狂するなんて父親はなかなか危ない。当時だって街には横文字が溢れていたし、メディアだって横文字を使いまくっていた。横文字で発狂するってのは、貧しい家庭にクリスマスを持ち込ませないための水際対策だった可能性が高い。虎さんはそう指摘する。  とにかく、そういった理由で虎さんの家にはクリスマスがなかった。やれプレゼントになにをもらうつもりだとテンションを上げる友人たちを横目で見ながら、とても羨ましかったと虎さんは語った。

フラッとやってくる親戚のお兄さんが教えてくれたこと

 ある年のクリスマスが近づいたとき、そんな虎さんの家に救世主が現れた。親戚のお兄さんだ。危険が危ない父親の年の離れた弟のようで、若々しい彼は虎さんにとって優しいお兄さんのような存在だった。ただ、放浪癖があるようでしょっちゅう行方不明になっており、たまにふらりと帰ってきてはお小遣いをくれる存在だった。 「クリスマスってしってるか?」  お兄さんは家にやってきて、両親の目を盗んでこっそりと虎さんにそう告げた。 「しっ! 横文字はだめ。父に聞かれたら危ない。キリストの誕生日って言って」 「キリストも横文字じゃん」  そんなやり取りがあり、虎さんの家ではキリストのことを「桐さん」と呼称することになったようだ。 「俺が内緒で桐さんの誕生日を祝う贈り物をやるからな、何がいい?」  お兄さんは優しい笑顔でそう言った。  虎さんはファミコンが欲しかった。けれども、ファミコンは「ファミリーのコンピューター」であり横文字の塊だった。横文字の権化であった。とてもじゃないが口に出せる物じゃない。「家族機械」みたいに言おうと思ったが、それでファミコンが来るとは思えなかった。それでもどうしてもファミコンが欲しかった。ファミコンだけでは意味がなくカセットも欲しかったが、マリオブラザーズを横文字なしで伝える手段がなく、虎さんはすっかり混乱してしまった。 「洗脳状態にあったんだろうな。ぜったいに横文字を使っちゃいけねえと思ったんだ」
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ファミコンが欲しい虎さんと、お兄さんの秘密の暗号
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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