高校中退、手取り20万円以下の厳しい生活を「副業」で脱却するまで
皆さん、こんにちは。このたび日刊SPA!で連載をさせて頂くことになりました、「物販NAVI」を運営している物販コンサルタントの船田寛と申します。
もともとは一般企業に勤める会社員でしたが、現在は脱サラに成功。「自社ブランドOEM」など、インターネットを活用した物販スクールの講師としてそのノウハウをお伝えしています。
物価の上昇や長引く不況の影響で会社員の“副業”やパラレルキャリアが当たり前にもなりつつあるなかで、本連載では自社ブランドOEMを通して「自分で稼ぐ力」を身に付けるために大切なことを皆さんにお伝えできればと思います。
とはいえ、自社ブランドOEMと聞いても今イチ、ピンとこない人も多いかもしれません。今回は第1回目ということで、私がなぜ脱サラしたのか。そして、自社ブランドOEMを始めてから半年でどのようにして月収250万円を達成できたのかご紹介します。
私は高校を1年で中退しています。そもそものきっかけは、中学2年生の時に不良仲間に誘われ、安易な気持ちでいわゆる“暴走族”みたいなグループに入ってしまったことです。
高校進学も当時は諦めていましたが、担任の先生がなんとか私が入れる高校を探してくれて無事に入学できたのですが……あろうことか、高校の先輩グループと喧嘩をしてしまい、結局は辞めることになってしまいました。
18歳から働き始めたのですが、最初は建築関係の仕事で7年、25歳から宅配サービスの配達員をしていました。
その後、31歳から物流会社で配送業を行っていましたが、手取りは十数万円とあまりにも給与が少なく、生活は非常に厳しかったです。大手だったので給与はほぼ年功序列で決まる。学歴がなかった私の給与は、社内でも最低水準でした。
そこから何年かアルバイトを掛け持ちする日々が続きました。早朝は新聞配達、深夜は警備員の仕事。睡眠は毎日3時間ぐらいでした。
当時は若かったので、なんとか乗り切ることができましたが、“いつまでこんな生活を続けるのだろう”という不安が募っていきました。
転職を考えて、少しでも多くお金がもらえる仕事を探してみたのですが、どの募集を見ても「四年制大学卒業」が条件。パソコンも使えず、資格も持っておらず、さらに高校中退の自分は今後、給与が上がる見込みもない。
社内で40代・50代の上司や先輩を見渡せば、「子どもがいるのでお小遣いは月1万円しかない」みたいな人ばかり。いつか自分もこうなるのではないか。
「絶対に嫌だ……」
将来に対する焦りと絶望が交互に押し寄せました。収入を今よりも上げるならば、どこかに雇われるのではなく、なにか自分で事業を始めないと、このまま一生変わらないのだろう。そんなことを考えていたのです。
高校中退の低学歴、給与は社内の最低水準…
アルバイトを掛け持ちする日々、将来への不安が募る
物販コンサルタント。自社ブランドOEMスクール「物販NAVI」運営。かつては大手物流企業に勤めるも給料が少なかったことから新聞配達や深夜の警備員などでなんとか生活。ある雑誌で「せどりで稼ぐ方法」の記事を見つけたことをきっかけに、2011年6月より国内転売をスタート。2014年9月に脱サラ、法人設立後は自社ブランドOEMで月収500万円を達成。現在では物販スクールの講師としてコンサルも行いつつ、売り上げは月商2000万~2500万円をキープしている。YouTubeチャンネル(@navi913)でも情報発信中。
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