元“バズーカップ”アナウンサーのその後。日雇いバイトや「中途採用に50社ぐらい応募」を経て
アナウンサー、タレント、アスリート……スポットライトを浴びる華やかな世界は誰もが憧れるもの。だが、そんな職業を選んだ人たちは「不確定な未来」と向き合っている。いつか必ず活躍できるわけではなく、長く続けられるとも限らない。表舞台から遠ざかるにつれて頭をよぎるのが「引退」。しかしながら、その後はどのような道を歩めばいいのか……。セカンドキャリアに悩むのは、「仕方がない」ことなのだろうか?
別府さんが大学生だった頃、90年代の世の中は「女子アナブーム」真っ只中。各キー局のアナウンサーたちは、CDデビューして踊りながら歌うなどしていた時代だった。もともと目立ちたがりやだった別府さんは、そんなキラキラした世界に憧れ、アナウンサーを目指したという。
「まるでタレントのような扱いを受けながら、安定した会社員でもあるところが魅力でした。ひと通りキー局の採用試験は受けたのですが、準備不足だったこともありすべて落ちてしまいました」(別府彩さん、以下同)
それでも憧れを捨てることはできず、就職をせずに大学時代から続けていたナレーターの仕事で食いつなぐことにした。当時は小泉政権による非正規社員の規制緩和により、「フリーターや派遣社員でも未来は明るい」という風潮があった。別府さんは、正社員ではないことへの不安は少なかったと話す。
「あまり深く考えずに『なんとかなる』と思っていましたね。イベントの仕事もたくさんあったので、収入的にも問題はありませんでした。一瞬、広告代理店で契約社員の仕事をしたこともあったのですが、やっぱり自分は“表に出る仕事がしたい”という思いを捨てきれなくて」
そんな時、知り合いから「オートレースでレポーターをしてくれる女性を探している」と声がかかった。ずっと人前で話す仕事を熱望していた別府さんにとってはまたとないチャンス。すぐに飛びつき、フリーアナウンサーとしての活動が始まった。
「アナウンス技術もまだなかったので下手だったのですが、当時24歳~25歳だったこともあり、関係者の方にもお客様にも大変可愛がって頂きました。オートレースは競技数が多いので、すぐにレギュラーレポーターとしてTVやインタビュー、イベントなどに駆り出されるようになって。
ナレーターの仕事も並行していたので、毎日忙しくお仕事ができていました。オートレースのお客様から『別府さんのあのコメントのおかげで勝てた』と言って頂けることもあって、大きなやりがいを感じていましたね。しかし、自分が思い描いていた『華やかなアナウンサーの仕事』とは少し違っていたので、若干の物足りなさもありました」
かつてオートレースのアナウンサーとして活動しながら“バズーカップ”のキャッチコピーでグラビアに挑戦し、大きな話題を呼んだ別府彩さん。「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)など、多くのバラエティ番組に出演したが33歳で芸能界を引退した。
大手事務所を辞めてから10年以上、彼女は現在なにをしているのか?
大学卒業後、華やかな「アナウンサー」の夢を諦めきれず…
オートレースの仕事でフリーアナウンサーに
インタビュー・食レポ・レビュー記事・イベントレポートなどジャンルを問わず活動するフリーランスライター。コンビニを愛しすぎるあまり、OLから某コンビニ本部員となり店長を務めた経験あり。X(旧Twitter):@KA_HO_MA
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