更新日:2023年02月16日 17:14
仕事

実は40年前に誕生していた自撮り棒。「日本の無駄な発売品」と海外で嘲笑されるも

自撮り棒以前の自撮り文化は?

カシオQV-10

カシオ「QV-10」(1995年)。被写体を確認できるデジカメの誕生が“自撮り”という概念が生まれたきっかけとなった。 写真提供/日本カメラ博物館

 しかし、『DISC7』と『エクステンダー』は単に、早く生まれすぎた過去の産物ではなく、カメラの歴史的な意味もあると山本氏。 「カメラが誕生してから一般に広まる前には、町に1台という時代がありました。それから、一家に1台という時代が長く続きます。そうしたカメラでは、町内や家族など『記念写真』を撮る文化が写真の主流だったんです。それに対し、自撮りができる同製品は、パーソナルな写真というものを意識しはじめた頃の機種だと言っていいと思います」  同製品の登場によって、写真文化が記念写真からパーソナルなものにドラスティックな変化を遂げたわけではないが、たしかに『DISC7』が発売された1983年当時はまだ、ちょっとした台や三脚などにカメラを置いて記念写真を撮影する文化が主流だった。そういった意味では、自撮りという概念が小さな産声をあげたと言えるのではないだろうか。  とはいえ、1995年には自撮り棒は「101 unuseless Japanese INVENTIONS」(日本の無駄な発明品)として、雑誌上で海外に紹介されるなど、嘲笑されていたようだ。

ターニングポイントとなった機種と人物

 そんな自撮りの文化が広まったのは、多くの人が感じる通り、SNSが発達してきたここ十数年だが、そこに到るまでに自撮りが完全に地下に潜っていたわけではない。メディアがフィルムからデジタルに移り変わる時代にもターニングポイントとなる機種があったという。 「1995年にカシオから『QV-10』という機種が発売されました。デジカメ普及のきっかけとなり、カメラの歴史の中でも重要な製品です。デジタルになったことはもちろんですが、今では当たり前になっている液晶を初めて搭載したのが革新的でした。しかも、レンズ部がクルッと回転して被写体の人物がどう撮れているかを確認できるようになりました。つまり、機能として自撮りがしやすくなったのはここからと言えますね」  機能が完成しても、文化として広まるには利用者側の感覚の変化も必要だ。事実、筆者も自撮りが広まった頃には、自身が自撮りするのには抵抗があった。それは、日本人特有のシャイさがあったかもしれない。その感覚を、先鋭的にアートとして打破していた存在があったと、山本氏は、ある写真家の名前を挙げた。 「HIROMIXさんというフォトグラファーがいます。まだ自撮りが一般的ではなかったどころかまだフィルムだった90年代に、コニカの『BIG mini』というフィルムカメラを使って自撮り写真をアートとして撮っていました。そして木村伊兵衛賞という賞まで獲っています。先鋭的な例ですが、日本で自撮り写真が世間の目に触れはじめた先例かもしれません」
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自撮り棒の今と未来
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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