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皇位継承と男女平等は無関係だ/倉山満

中継ぎとして皇位に就いた女帝たち

 中継ぎの理由は様々だ。古代では男の争いが激しすぎて、力のある女帝が皇位に就いて、政争の激化を回避した場合が多いし、中継ぎがそのまま長期政権となった飛鳥時代の推古天皇もいる。古代では中継ぎも実力者でないと務まらなかった。江戸時代の明正天皇は徳川幕府の圧力をかわす秘策として即位。後桜町天皇は、継ぐべき皇子が幼少なので中継ぎとなった。  持統・元明・元正は、天武天皇~草壁皇子~文武天皇~聖武天皇と、男系の中でも天武天皇の皇后であった持統天皇が、自らお腹を痛めて生んだ草壁皇子(後に岡宮天皇と諡られた)の子孫に皇統を継がせるための中継ぎだった。  聖武天皇の娘の孝謙天皇は他の天武系までの中継ぎであり、天武天皇の孫の淳仁天皇に譲ったが、争乱の末に皇位を奪還、称徳天皇となった。  この称徳天皇が単なる民間人の弓削道鏡に皇位を譲ろうとする大事件が発生、以後約800年以上も女帝は憚られた。

単なる一般国民の男を皇族にした例は一度もない

 女帝は全員が未亡人か生涯独身だ。配偶者が天皇か皇族ならば問題ないが、単なる一般国民の男を皇族にした例は一度もない。現代において、女帝はやってはいけないが、極めて方法が難しいし、悠仁殿下がおわす以上、無理やりやる必要性が無い。  皇室では男性は皇族になれないが、女性はなれる。正田さん、小和田さん、川嶋さんだった方々のご活躍は周知の通り。ただし、愛子殿下・佳子殿下と違い、皇女ではない。  前近代でも、天皇の妻などは皇族として扱われた。南北朝の動乱で後伏見上皇の女御だった西園寺寧子は治天の君(院政を行える人)となり、皇室途絶の危機を救った。皇族として扱われていたから治天の君になれたのだ。もちろん皇女ではないが。  皇室の男女分業の歴史の一端、お知り頂けただろうか。  歴史を知ることが、くにまもりだ。
1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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