更新日:2023年08月24日 20:07
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「家賃の安い団地に親を置き去りに…まるで姥捨て山」“庶民の憧れ”だった団地の悲惨な現状

チェーン店も次々撤退。大規模団地のトラブル

 最後に訪れたのは、かつて東洋一のマンモス団地と謳われ、いまも単一団地としては日本一の規模を誇る東京北西部の団地。ほかの団地と比べると賑わっているが、高齢者率は45%に及ぶ。  敷地に入ってまず気になったのが、住民の喫煙率の高さだ。タバコ屋の前に灰皿があるにもかかわらず、みな広場で堂々とタバコをふかしている。 「老人は物を買わないから、団地内にあった魚屋はつぶれ、チェーン店もどんどん撤退していったけど、タバコ屋だけは繁盛してるね」  そう話すのは、分譲団地で20年近く暮らす飯田和彦さん(仮名・71歳)。この団地では今年に入って何度かボヤ騒ぎがあったが、「ここは広いし、毎日のように救急車が来るから消防車が来てもわからないよ」とブラックジョークを飛ばす。また、この団地でも外国人移住者とのトラブルがあるという。 「外の植木に油を流す中国人もいるし、たまに外国人が広場で騒いでる。そんな時は目の前に指で輪を作って『目、枠(めいわく)』というジェスチャーで向かいの棟の人と意思疎通するんだ」(飯田さん)  住民は平然と語るが、訪れた団地はどこもそこはかとなく絶望感が漂う。高齢化社会、日本の問題を凝縮したかのようだった。

団地年表:「夢のマイホーム」から現在まで

『ルポ[日本の絶望団地]』シャッター

神奈川県平塚市の団地周辺では、シャッターが閉まった店が多い。かつては栄えていた外国人向けの料理店も閉店し、スナックも18時閉店だった

■1955年 建設省「270万戸の住宅不足」を公表。日本住宅公団(のちの都市基盤公団)発足。 ■1958年 「ダンチ族」が流行語に。 ■1962年 区分所有法施行。 ■1965年 政府が5カ年計画で「35万戸」の建設を計画。地方住宅供給公社法施行。 ■1971年 日活『団地妻』シリーズ始まる。東京多摩ニュータウン入居開始。 ■1987年 南北ニュータウン入居開始。 ■1997年 住宅・都市整備公団(のちの都市基盤公団)が分譲住宅から撤退。 ■2001年 都市基盤整備公団が賃貸住宅の新規供給を停止。 ■2004年 UR(都市再生機構)発足。  第一次ベビーブームの受け皿となり、戦後の経済成長の下支えとなった団地。流行語になるなど、たしかに団地はかつて「夢のマイホーム」だった。しかし、1990年代から始まった少子高齢化によって団地のゴーストタウン化などが社会問題になっている。 【住宅ジャーナリスト 榊淳司氏】 京都府出身。分譲マンションを中心とした不動産業界に詳しい。近著に『すべてのマンションは廃墟になる』(イースト・プレス) 【住宅・土地アナリスト 米山秀隆氏】 新潟県出身。大阪経済法科大学経済学部学部長。富士通総研などを経て現職。な著書に『限界マンション』(日経BP)など 取材・文/週刊SPA!編集部 図版/ミューズグラフィック
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