井上咲楽24歳、“ゲジ眉”がなくても仕事が絶えない「自分の良さを伝える」ための意外な心構え
2015年に芸能界デビュー以来、テレビのバラエティ番組を中心にタレント活動を行う井上咲楽さん。2020年末にはトレードマークだった“ゲジ眉”をカットしたことでイメチェンに成功。現在はグラビアや美容系の仕事など、多方面にも仕事の幅を広げている。
井上さんは山に囲まれた栃木県・益子町で生まれ育つ。周辺にはスーパーやコンビニがなく、実家では自給自足のような生活を送っていたという。
芸能界を目指そうと考えるようになったのは、中学校に入ってから。
幼い頃、「NHK Eテレ」に出る同年代の子どもを見て「自分もテレビに出たい」と思ったのが原体験になっている。
「小さい頃は、あまり目立つようなタイプではなかったんですが、中学校では体育祭で応援団の副団長を務めたり、文化祭の出し物で“ものまね”を披露したりと、とにかく人前に出ることを意識していました。
周囲にも『将来は芸能人になる』と伝えていて、友人がふざけて『サインちょうだい』と言ってきたら、サインを書いて渡していましたね。ちなみに当時考えたサインは、今でもその原型を残しているんですよ」
高校に進学すると、芸能界に入るという夢を叶えるため、さまざまなオーディションに応募するようになる。いくつも応募した中で、大手芸能事務所のホリプロが主催する「ホリプロタレントスカウトキャラバン」(TSC)の書類審査を通過して地方予選へ。
地方予選を通過したあとは合宿審査に進み、最終的には審査員特別賞を受賞したことが芸能界入りのきっかけとなった。
「地方予選から、みんなと違うことを披露して“爪痕を残そう”という気持ちでオーディションに臨んでいました。まさか自分がファイナリストまで残り、特別賞をいただけるとは思っていなかったので、受賞できたことは素直に嬉しかったですね」
こうして井上さんは、2015年に念願の芸能界デビューを果たした。だが、そこからすぐにテレビへ出演できたわけではない。
タレントとしてチャンスを掴み、ブレイクするまでには時間を要したのだった。
「当時は、“ゲジ眉”が珍しく印象的だったみたいで、それが唯一テレビに出られるアピールポイントだったんです。それ以外に自分の強みとなる個性やトーク力がなかったので、“爪痕を残そう”とする主張が全面に出過ぎてしまって。
自分でオンエアを観ていても、椅子の三分の一ぐらいしか腰掛けないで『どこかで喋ってやろう』みたいな顔をして待っているのが衝撃的で。こんなに私って、前に出たがっていたんだと思うと結構ショックだったんです」
デビュー仕立ての頃は、1つの番組が次のチャンスにつながるという意識を持ち、常に焦っている方がいいと思っていたという。それが逆に空回りしてしまい、テレビの画面からもその様子が伝わってしまっていたのだ。
「自分を売り出したい、アピールしたい気持ちが強すぎても、マイナスになってしまうのだなって。いつまでも『前に出たいです』というスタンスだと、さすがに“イタい”と考えるようになったんですよ。それがきっかけとなって、印象に残そうと張り切りすぎるのではなく、冷静さを保ち、落ち着くことを重視するようになりましたね。
やる気を見せてガツガツいくのも大事ですが、そこは程よいバランスを意識しながら、自分の良さが伝わる振る舞いをするように心がけています」
そんな井上さんは、料理やものづくり、昆虫食、国会傍聴など多趣味の持ち主。自分の感性を大切に、丁寧な暮らしを実践することで、心の活力を得ているという。
芸能の仕事に対する向き合い方や、“DIY精神”あふれる暮らしぶり、これから挑戦したいことについて井上さんに話を聞いた。
中学校の頃から人前で“目立つ”ように意識していた
テレビで「爪痕を残す」意識が強すぎて空回りした時期も
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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