宝塚劇団員急死事件「清く、正しく、美しく」の裏で俳優の心を蝕んでいった“絶対的な上下関係と伝統”
今年9月に宝塚歌劇団に所属する俳優が自ら命を絶った問題で、同歌劇団が14日に記者会見を開いた。木場健之理事長は辞任を表明、長時間労動や指導による負荷は認めたものの、いじめはなかったと主張。会見を受け、遺族側はいじめとパワハラに対する謝罪と適切な被害補償を宝塚側に求めた。(以下、文/山口真由)
宝塚歌劇団の俳優の女性の急死に関する調査報告書は華やかな表舞台の裏での過酷な現実を明かす。
新人公演では上級生の本公演と同じ演目を下級生が演じる。この際に同じ役を演じる上級生を下級生が手伝う習慣があり、お手伝いの内容は舞台稽古1日目に下級生から本役にお声がけして決めるという。
自死した俳優は新人公演のリーダー役であり、この「コミュニケーション」と呼ばれるお声がけのタイミングが遅れた責任を問われていた。
ほかの劇団員も呼ばれて繰り返し詰問され追い詰められていく女性。それでも報告書はいじめを認定しない。上級生の言葉が一定の範囲に収まっているのだという。そうだとしても、上級生の言動は背後にある力関係によって受け取る側には増幅される。
この権力構造こそがハラスメントの土台なのだ。男役トップを頂点に上級生と下級生の絶対的なヒエラルキーがある中でのハラスメント。その可能性の検討で構造問題というピースは除けないはずだ。報告書はこの要素を決定的に無視した。
今回の悲劇において俳優を押しつぶしたのは宝塚の上下関係そのものではないかという気がしてならない。本公演での殺陣やダンスの振りを上級生が指導する「振り写し」という慣習。彼女は不自然なほどにこれを避けようとし、振り写しを推奨する上級生との間でハレーションを起こしている。
もしかして、宙組の下級生は上級生との接触を減らしたがっており、板挟みになった彼女が上級生からのプレッシャーを華奢な肩に一手に負わされたのではないか。
報告書が構造問題に切り込まなかったのは、おそらくそれが宝塚の本質に直結するからだろう。女性のみで男女を演じるという虚構を支えるのは絶対的なヒエラルキーとそれを維持するための「伝統」と称されるルールの数々ではないか。それが夢のような非日常を生み、表裏となる闇もつくる。そう、あの華やかな「背負い羽根」はいくつもの嗚咽に濡れてきた。この事実から目を背けてはならない。
文/山口真由
※11月21日発売の週刊SPA!より1983年、北海道生まれ。’06年、大学卒業後に財務省入省。法律事務所勤務を経て、ハーバード大学ロースクールに留学。帰国後、東京大学大学院博士課程を修了し、’21年、信州大学特任教授に就任
清く、正しく、美しくの裏で俳優の心を蝕んでいった絶対的な上下関係と伝統
『週刊SPA!11/28号(11/21発売)』 表紙の人/ 池本しおり サブスク「MySPA!」なら発売日の1日前からすぐ読める! プランの詳細はこちらから |
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ