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『週刊ベースボール』での手記が球団批判と取られ…… ドジャース戦法を取り入れた川上哲治と広岡達朗の確執前夜

日本球界に初めて持ち込まれた“考える野球”

早速、翌春の宮崎キャンプでドジャース戦法を取り入れるべく練習するが、上手くいかない。連日のミーティングでも説明をするが、誰もがちんぷんかんぷん。そりゃそうだろう。川上自身もやったことも見たこともないから、選手たちができないのは当たり前だった。 その後、宮崎からフロリダのベロビーチに移ってブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)と一緒に練習することになった。百聞は一見に如かず。そこでようやく「ドジャース戦法」のなんたるかがわかった。 そもそも、それまでのキャンプといったら、起床時間、練習時間の開始だけが決まっているだけで、細分化されたスケジュールなど存在しなかった。レギュラーは昼までちょこちょこっと練習して、後は麻雀三昧。それが、ドジャースのキャンプはいくつもの球場を使用し、打撃、守備、走塁の練習がタイムスケジュールで管理されていたことに巨人の選手たちは驚いた。とにかく、川上は今までのキャンプのやり方を刷新し、効率良いスケジュールを立てることから始めた。そのうえで徹底的に組織プレーを反復練習させ、毎夜ミーティングをやり、〝考える野球〟を定着させたのだ。 巨人がドジャース戦法を取り入れるまでは、日本のプロ野球チームがサインプレーによって連携することなど皆無だった。例えば一塁ゴロのとき、ピッチャーがファーストベースカバーに入るという練習をしないため、実戦では各々がぶっつけ本番で判断してプレー するしかなかった。ましてや、相手がバントしてきたらひとつアウトにすればいいというのが基本の考えで、今のようなバントシフトでファーストとサードが飛び出してくることもなかった。つまり守備側の意思でバントを成功させないようにする発想がなかったのだ。
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『週刊ベースボール』での手記が球団批判と取られた
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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