米津玄師のニューアルバム『LOST CORNER』がアメリカのビルボードチャート3つのカテゴリーでトップ50入りする快挙を達成しました。
CD売上枚数とダウンロード数を合計した「Top Current Album Sales」が41位、アメリカのアーティスト以外の「World Albums」が14位、要注目の新人を対象にした「Emerging Artists」が35位。ニューヨークの中心地で巨大な街頭広告も展開するなど、上々の全米デビューとなりました。
日本の各メディアもこぞって報じています。“これで米津も世界的スターの仲間入りか?”と思った人もいるかもしれません。
しかし、残念ながらそうはならないでしょう。米津がラインクインしたのはアメリカのトップアーティストがひしめくメインストリームのチャートではないので、そこで1位を獲得したBTSやNewJeansなどと同列に語ることはできないからです。
ともあれ、日本が誇る才能が全米デビューを果たしました。では、米津玄師の音楽はいまのアメリカのトレンドの中でどのような立ち位置を占めるのでしょうか? 果たしてK-POPのように成功を収める可能性はあるのか? 色々な角度から考えてみたいと思います。
アメリカの“売れ線”とは対照的な米津の作風
そもそもアメリカではどんな曲が売れているのでしょうか。この原稿を書いている9月13日時点のチャート上位は、1位「A Bar Song (Tipsy)」(Shaboozey)、2位「I Had Some Help」(Post Malone Featuring Morgan Wallen)、3位「Espresso」(Sabria Carpenter)でした。
「A Bar Song (Tipsy)」と「I Had Some Help」は、ギターのコードストロークが特徴的な、フォーク、カントリー風の曲調。「Espresso」は、タイトなダンス・ポップ。サブリナ・カーペンターのお茶目でセクシーなキャラも同世代の支持を得て、世界的なヒットになっています。
この3曲は、いずれも数少ない同じコード進行の繰り返しで成り立っています。歌いだし、つなぎ、サビ、どこを切り取ってもループ再生可能な構成。その中で歌詞の文脈にあわせた節回しの変化によって抑揚をつけているのですね。
これとは対照的なのが米津玄師の作風です。とにかく手が込んでいるのです。
たとえば、アニメ『チェンソーマン』のオープニングテーマとして大ヒットした「KICK BACK」。プログレッシブ・ロックの構築性と歌曲としてのJ-POPが高い純度で融合したこの曲と同じ要素を持つものは、アメリカのメインチャートにはありません。「KICK BACK」は、日本的な輸入と加工によるコラージュの、大衆音楽におけるひとつの極点だと言えるでしょう。
他にもループ的な要素を持つ「LADY」でさえ転調による場面転換がありますし、映画『君たちはどう生きるか』の主題歌「地球儀」は横に広がる大きなメロディのバラードですが、細かな音節に合わせてコンパクトにコードチェンジするあたりに演歌、歌謡曲の名残りを感じます。